朝、梅さんの体内時計がいつもの時間がくると、脳みそにスイッチが入る。
目を開けて、ベッドの中で天上に向けて両手を広げてグーパーグーパー指の運動。
「あれあれ!?三日前からの左手首の痛みが消えとるなぁ?」
「しめしめ、旦那さん! 梅は少しだけ若くなったかも?」
「あの痛みと付き合わなくてもよくなったよ!有難い?有難いねぇ。」
そう独り言をつぶやいて足のストレッチ。
「おやおや、膝の痛みも今朝は無いぞ!?らっき~だねぇ!」
金曜日の今日は、梅さんの家から麓まで下った場所で、コーヒー豆の専門店の八重さんが五歳のメイちゃんを連れて遊びにやってくる日。週末に天然酵母のパンを数個買ってくれるのだ。
八重さんがやっているお店は、コーヒー豆販売と、飲み物はドリップで炒りたてコーヒーをゆっくり丁寧に点てて自転車で立ち寄るお客様だけを持て成す週末だけの店。
店の前を走るサイクリングロードのお客様をもてなす。
入り口には、自転車を立てかける大きな太い材木で作られた自転車置き場も設置してあり自転車愛好家の憩いの場であった。八重さんのコーヒー好きの趣味が高じてお店をだすまでになったと聞いた。
因みに旦那様は単身赴任らしいのだが、八重さんのご両親も一緒に生活しているのでメイちゃんも生き生きと育っている。梅さんの小さな友達の一人。
「さぁて、コーヒーを飲み終わったら早速パンを仕込もうかな。」
大切に育てているのは自家製酵母のレーズン酵母。季節ごとに果物の酵母も育てているが梅さんの一番は、レーズン酵母なのだ。
「そうそう、このレーズン酵母の元種は毎日お世話をしているんだから、ほら、見ておくれ、こんなに元気がいいよ。一番安定して膨らんでくれるからねぇ。」
梅さんは、天然酵母のパンの材料を冷蔵庫から出して調合してパンを捏ねる器械に入れてスイッチを入れた。最近は、疲れるので手ごねはしていない。
それでも、一次発酵の見極めや成形して二次発酵と、手はかかるが、梅さんはこのパンの香りと手触りに癒されてパン作りは止められないのだ。第一、美味しいのだ!
取りに来るのは、三時に約束しているが一時間ほど八重さんは、おしゃべりをしていくから四時までに焼き上がる計算にしている。
「今日は、メイちゃんのおやつは何を作ろうかしらぁ?そうだ、ホットケーキを焼いてあげようかねぇ。」
梅さんはパンの準備が一段落すると昼食を済ませてメイちゃんのホットケーキを作り始めた。お土産にもと思って、多めに焼いた。
そうこうしているうちに、下の道路から車の音がしてメイちゃんの大きな可愛い声が聞こえてきた。
「梅ばあちゃ~ん!! メイがきたよ~!!」
車から降りて梅さんの家までの小道を駆け上がってくるメイちゃんの姿が可愛くて、涙もろい梅さんは、涙声である。
「あらあら、メイちゃん!坂道をそんなに走ると危ないよ~!」
「いらっしゃい!メイちゃん、あら、またメイちゃんの背が伸びたかな?」
「梅ばあちゃん、このリボン福岡のパパからのプレゼントだよ!可愛いでしょう?」
「ママが三つ編みにして結んでくれたんだよ。それと、これはこの前幼稚園で作った折り紙のお花だよ、梅ばあちゃんにもプレゼント!!」
「おやまぁ、可愛いね。何のお花かな?朝顔みたいだね?」
「そうだよ、朝顔。幼稚園で一番上手だって先生に褒められたから梅ばあちゃんに持って来たんだよ。」
「そりゃぁ嬉しいね。梅さんの部屋に飾っておくよ、どうもありがとう。メイちゃん。」
ホットケーキを頬張りながら、メイちゃんが嬉しそうに話してくれる。
「梅ばあちゃん! メイちゃんの幼稚園で秋の遠足に上のオレンジ園に決まったよ!この家の前を通るから、その日は、ママに時間聞いてね。」
「そうかい、そうかい。嬉しいね。メイちゃんのママにくわしく聞いておくね。」
楽しい時間は、あっという間。
八重さんは、焼き立ての大きなライ麦パンと全粒粉のカンパーニュを大きな紙袋に入れて帰って行った。
後片付けをしていると、玄関のチャイムが鳴った。
「はて? 今日の約束は他にもあったっけかなぁ?」
「は~い。今いきますよ!」
玄関を開けると、汗だくの宅急便のお兄ちゃんが立っていた。坂の下の車通りから荷物を抱えて登ってきてくれたのだった。
「あぁ~そうそう、この前パソコンを開いた時に注文していたパンの材料だね!?ありがとう、重かっただろう?ここに置いておくれ!」
「ちょっとだけ待ってて!」
そう言うと、梅さんは慌ててキッチンの方へ行ってさっき焼き上がったクロワッサンを紙袋に入れてお兄ちゃんに渡した。
「ご苦労様。このパンは焼き立てだよ!車の中でおやつに食べておくれ!いつも家まで上がってきてくれてありがとうねぇ。」
梅さんは、二カ月に一度パンの材料専門店でネット注文していた。
だいたいが、重い物だけネット注文でして、新鮮な食材は下の道まで移動スーパーがきてくれて生活は、何不自由なく過ごせていた。
これも旦那さんが亡くなる前にインターネットを梅さんに教えてくれたからなのだが、梅さんは、ふと、不安になることがあった。
「だめだめ、先の事を考えて不安になっても仕方がないよ。今こうして元気に暮らせているんだから、幸せだねぇ。旦那さん!今日も梅は幸せに楽しく暮らしているよ。」
「旦那さん!ケッセラ~セラ~!だよね!そっちはどう?」