僕の失恋5 短編

 幼馴染である岡崎美子からの会いたいと書いてあったメールで僕の心は揺れていた。

 住むところも無い。と聞くとすぐにでも名古屋に呼んでやりたいが、そうもいかない事情もある。僕の母に知られたら?悲しませることは間違いない。それに、美子の父親である社長に知られたら激怒では済まないかも知れない。そして、美子と同棲となると僕は理性を抑える自信がない。血の繋がった腹違いの妹なのだ。

 美子はきっと僕からの返信を首を長くして待っている事だろう。情けないが僕はどうしていいのか決断がつかなかった。四面楚歌になっても美子と結婚して一緒に住みたいと思う気持ちと反面、生きていくうえでの人間としてのモラル、理性ある人間とやらが頭の中で右往左往している。

メールをもらって三日目、美子からまたメールがあった。

「正人。ごめんなさいね、この間のメールわたし、どうかしていたわ。正人を困らせているのは分かっていたの。どうか忘れて下さい。」

「そして、わたし、住む所が決まりました。今、トランスジェンダーの彼女と住んでいる場所から五分ほどのアパートに引っ越します。今のマンションよりも狭くて古いけど、わたし一人なら十分な部屋です。仕事場がある梅田のエステサロンまでも近いし、決めました。」

美子は、僕の返事がすぐに来ない事に絶望したのかも知れない。

 一度、僕の戸籍を調べてみようと思った。母の言う事が本当なのか、美子の父親が言う事が本当なのか。ちょっと怖い気がするが、まずそれからだと思った。美子の言う事が間違いであって欲しいと微かな期待を持っている。

 「母さんお元気ですか? 僕は毎日、仕事を覚える事で必死だよ。実は、母さんに頼みがあるんだ。今度会社の上司たちと海外研修に行く予定があってパスポートが必要になってね。」

 「僕の戸籍謄本が要るので取って欲しいんだ。僕の戸籍は、母さんの故郷の和歌山だよね。戸籍の住所が分かれば、僕が郵送で取るから教えてくれないかな?この一年間は大阪に戻れないけど、母さんも新しい父さんも元気で体に気を付けて過ごしてください。正人。」

 母にメールを書いた夜は眠れなかった。もし、父親の欄に美子の父親の名前があったらどうしよう。いやいや、そんなはずはない。母の言う事故で亡くなった船乗りの父親の名前があるはずだ。それとも、父親の欄は空白なのかも知れない。未婚の母もありえる。

 「正人へ。 今日、戸籍謄本を名古屋のあなたの住所に送りました。母さんは、結婚した白井照正さんの戸籍に入ったので正人の戸籍謄本の中の山口雅子は除籍されています。父親の欄は空白です。」

 「正人は不審に思うかもしれませんが、これには訳があってね。いつかは正人に話そうと思っていました。」「実は母さんは、あなたを未婚の母として生みました。父さんと結婚の約束をしていたのですが急に予定よりも早く外国航路船に戻る事になってしまった父さんは、次に戻った時に役所へ行って婚姻届けを出そうと言ってくれたのです。」

「その時、あなたが母さんのお腹にいる事を知らずに事故に遭って亡くなったのです。身重になった母さんを助けてくれたのが和歌山の旅館の社長でした。美子ちゃんのお父さんです。社長とは長い間、友達として私たち親子を親身になって援助してくれました。母さんもそれに応えるべく一生懸命働いたのです。」

 僕は、母のメールを読んでいて分からなくなった。

 美子の父親は、僕を自分の子供だと言っている。では、何故、生まれた時に認知しなかったのだろう。両親の反対に遭っていたとしても男として卑怯ではないのか。美子の言う通り許せない。

 それとも、本当は母が言う様に船乗りの父と出会った事を美子の父親の社長は知らなかったのか?自分が親の言いなりになって結婚をする時に付き合っていた母を捨てた事実が母を苦しめ船乗りの男と関係を結んだ事を知らなかったとしたら。

 僕と美子は血の繋がりはないのだ。

 僕は、母に尋ねてみよう思う。美子と結婚しても良いのかと。しかし、船乗りの父の事が作り話だったとしたら、母をもっと苦しめる事になるのだ。

  「美子へ。返事が遅くなってごめん。僕も苦しんでいるよ。新居が見つかって良かったね。美子の気持ちも僕の気持ちも同じだ、苦しいよ。僕は、先日パスポートを取ると言って母に戸籍謄本を送ってもらった。」

 「僕の母親は最近結婚したから、僕の戸籍謄本から除籍されて新しい父親となる人の籍に入ったんだ。だから僕一人が残った戸籍謄本なんだよ。そして、父親の欄が空白だった。未婚の母だったよ。」

 「しかし、美子の父親と付き合っていたとは言っていない。友達でいつも助けられていたと母は言う。僕は思うんだ、美子の父親と別れた後、船乗りの男と知り合たんじゃないかと。結婚の約束をしていたが船の事故で籍も入れていない状況の中、僕を出産したと母は言っている。」

「子供の頃からそれは言っていた事なんだ。僕がお父さんはどこ?って困らせていたら船の事故で死んだと言っていたよ。僕は、美子と結婚してもいいかと聞くのが辛くてね。もし、美子の父親が言う事が本当なら母を苦しめるから。それとも、社長が思い違いをしているかも知れない。」

 「僕は、どうしても美子を諦めきれないよ。最後の手段は血液検査だ、DNA検査まですると辛い結果が出た時に立ち直れないかも知れない。美子はどう思う?」

 美子にメールをしたが直ぐには返事が無かった。

 暫く美子からのメールが途絶えて、三か月が過ぎた頃だった。

「正人。暫くぶりですがお元気ですか?お仕事頑張っている事でしょうね。わたしは、和歌山の実家に戻ってきました。母が心筋梗塞で倒れたと父から電話があって、迷ったけど母の事が心配だったからね。父親と会うのが嫌だったけど心配でいても経っても居られなくて。帰ってきました。」

 「母は、和歌山の大学病院へ今も入院しています。正人からメールもらった後だからもう、三か月になります。今は、母の容態が思わしくなくて心配です。そして、一つはっきりした事があります。母は、父が昔、母と結婚する前、正人のお母さんと付き合っていた事を知っていました。」

 「そして、正人のお母さんが言っている外国航路の船の男性の事を母は知っていました。結婚したいと言っていた事も聞いていたそうです。本当の話です。」

「知らなかったのは父だけだったのです。当時、自暴自棄になっていた正人のお母さんが心配だったので、わたしの母がいろいろ相談にのっていたらしいのです。祖母たちの企みでも、父が正人のお母さんと別れた事に母は、知らなかったとは言えとても、責任を感じていたと言っていました。」

 「祖母たちは、母の実家の援助を充てにして縁談を進めました。父と母が結婚した後、旅館で働いて欲しいとお願いしたのも母だったのです。わたしが、大学一年の夏に父が、わたしに正人との結婚を許さない!と言って大喧嘩した後、母は父にその事、正人の父親の事を話したそうです。」

 「父は母に何も言えなかったようです。わたしが実家に近寄らなかった事にも何も言わなかったと聞いています。母が入院して一度は体調が良くなった時があって昔の事をいろいろ話してくれました。わたしと正人は、結婚しても良いのだよ。と言ってくれたのです。」

 「父は、その事にまったく触れません。わたしと顔を見合わせても正人の名前は出しません。父は、二人の女性を苦しめたのですから。
それから、正人のお母さんに、わたしと結婚しても良いかと正人がもし、聞いたとしても反対はしないと思います。 」

 「でも、わたしは複雑です。正人の事が大好きで結婚したいと今も思っていますが、母の事を考えると可哀そうで辛いのです。母も父との結婚が幸せだったとは思えないのです。母からこの話を聞いていて、わたしは涙がでました。どんなに辛かっただろうと。」

 「父が昔、付き合っていた女性がいつも側にいるのを、知らなかった事にして暮らす事がどんなに辛かっただろうと思うと泣けてきます。わたしと正人が高校を卒業するまでの長い間、正人のお母さんも辛かったと思いますが、わたしの母も苦しかったと思うのです。」

 「一番悪いのは祖母たちです。お金の為に息子を結婚させて旅館を立て直しても後を継ぐ、母たちの気持ちも考えず。昔の人はこうなのかと嫌になります。いや、家の祖母たちだけなのかも知れませんが。わたしは嫌いです。」

 美子のメールを読んで僕の体中の力が抜けた。

 僕は、この数か月、いや、美子は数年間苦しんでいたのだ。頭の中が暫く放心状態だった。僕は、あの時、美子との結ばれないであろう事実を、そのモラルを無視して結婚しようと考えた時、僕の体の中の奥深くから湧き上がってくる異常な体感が今まで経験した事がない感覚だったのだ。あれは何だったんだろう。

 


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