僕は、仕事にも慣れて、久しぶりにゆっくりと過ごせる休日だった。
朝から、部屋の掃除をしてベランダに布団を干して近所のスーパーまで買い物に出かけた。最近、外食ばかりで栄養も偏っていると思う。美子からのメールでずいぶんと心も穏やかになった。美子のお母さんの容態も気になってはいるが、まだ有給は取れないので見舞いに行く事は暫く無理なようだ。
年を明けると、勤務先が変わる。名古屋にある別店舗で働くことになっている。今、住んでいる所から一時間ほどの場所にある店舗で経験を積むのだと上司から伝えられた。数年間はこの繰り返しで仕事を覚えていくことになる。いずれは大阪に戻れるようなことも言われているが、いつになることやら。
「美子。お母さんの具合は如何ですか?先日のメールで僕たちの結婚が可能だったことに安心したよ。ホント良かったと思う。お見舞いに行きたい所だが暫くは有給が取れないのでおばさんに、よろしく伝えてほしい。」
「そして、まだまだ先になるとは思うが、おばさんの体調が安定したら僕の住む名古屋に来ないか?一緒に暮らそう。」
僕は、美子に住んでいる住所を知らせた。
それから、一カ月過ぎた頃、美子からメールがきた。
「正人、連絡をありがとう。実は、母が心臓の手術をする事になったの。当分の間は母に付き添う事になるの。正人の住む名古屋までは、遠すぎて会いに行けないと思うわ。」
「私も、正人にすごく会いたいけど、しかたないよね、我慢する。それと、大阪の引っ越したばかりのアパートは、友達に頼んで職場の人に住んでもらう事になったから、ホッとしました。正人も体に気を付けてお仕事頑張ってください。 美子。」
僕は、美子に会いに和歌山まで日帰りしてでも出かけようと思っていたが、先日本社に出勤した時に本部からの命令で一年間の僕の仕事内容と感想を簡単なレポートにして提出するようにと上司から伝えられてしまい、今月の休日は忙しくて取れない事になってしまった。
そんな時、大阪に住む母から手紙が届いた。
メールではなく手紙だったので何事なのかと思いながら封筒を開けた。
「正人、お元気でお仕事を頑張っていますか。以前、送った戸籍謄本は役に立ちましたか?パスポートは取れたの?そして、何時頃海外に研修にいくのでしょう?」
「そう言えば、正人が大学生の時に付き合っていた人とはどうなっているの?最初の二人はすぐに付き合いをやめた事は知っているけど、四年生の時に一度マンションに連れてきて母さんに合わせてくれた、あの人とはどうなっているのかと思ってね。今も付き合っているの?」
母は、結婚を機に仕事を辞めて家で専業主婦をやりだしてから、どうも心に余裕ができたのだろう、僕の事を気にかけだしたのだ。それに、京子をマンションに連れて行ったのにも、そんなに意味はなかった。
母は、多分、大沼京子の事を言っているのだろう。あの時は、僕が今読んでいる本が面白いから今度貸すよ。と言うと、京子が今、マンションに取りに行こうよと気まぐれで、ついでに僕の母にも会ってみたいと言い出して断り切れなかったのだ。母が思うような関係ではないのだが、いちいち説明も煩わしいので話題にしなかった経緯がある。
僕は、母に美子の事も何一つ話していなかった。僕の好きな人は美子なのだと言いたかったが和歌山での話は、無意識にさけていた。僕が高校を卒業した時に大阪に出ようと言い出したのも母だったのだ。僕を大阪の大学に進学させたいと言い出したのも母だった。
その時は、何も考えず母の言う事に従って大阪に一緒に引っ越して大学に進学したのだ。僕は、アルバイトをしながら大学に通ったが、最初の入学時の必要なお金は全部母が出したのだ。結構な金額になっていたので僕は心配して一度母に尋ねた事がある。
「母さん、そんな大金大丈夫なの?僕は別に高卒で働いてもいいんだよ。母さんと一緒なら。どこか働き口を探すから。無理をしないでよ。」
僕は心配していた。引っ越しの費用やマンションの契約金や家賃だって結構な額だった。いくら、旅館で真面目に働いて貯金していたと言ってもたかが知れていると思う。社会人になった今だから分かる事もあるのだ。
「大丈夫だよ。正人は何も心配いらないの。今まで、母さんは正人を大学に入れようと思って頑張って貯金をしていたんだよ。正人が心配することは何もないんだからね。」
その時には、僕は母の言う事を鵜呑みにしていたが、今になって思うと母がそんな大金を持っている事自体が不可解な事だと思う。美子の父親の言うように、僕の本当の父親だとしたら母にお金を渡していても不思議ではない。
それに、当時僕を認知していない事も母と僕にとっては、辛い事だった。美子の父親、即ち社長が罪滅ぼしの為に母にお金を渡していても不思議ではないのだ。
しかし、母は、僕の父親は外国船の船乗りだったと言い続けている。お互い、母と僕は、その話には触れない様に無意識に避けていたのだった。それでも、美子のお母さんも母と同じことを言っていたと美子は言う。そうであれば僕と美子には血のつながりが無いので嬉しいのだが、何かが腑に落ちないのだった。
その事に対して美子の父親は何も言わなくなり、不自然なほど喋らなくなったと美子が言っている。僕は、何か胸騒ぎがしてならなかった。本当に美子を名古屋に呼びよせて一緒に暮らす事が可能なのだろうか。
年が明けて僕は、新しい勤務先に変わった。大学の時運転免許を取っていて良かったと今更だが思った。車は、会社の車が借りれるようになった。昨年までの勤務先とは違い仕事内容も変わった。
多分、以前、僕が書いたレポートも何らかの影響が有ったのだろうが僕は嬉しかった。同じ店でずっと接客ばかりだと飽きてしまう。でも、それも仕事!大切な仕事だから疎かにはしないで真面目に働いていたのが認められたのかと考えていた。
名古屋にある支店を回ったり店舗に並ぶ商品の仕入れや売れ筋を同じ業界の店で情報を収集したりとバイヤーの仕事の見習いだったが刺激的で面白い。僕にとっても遣り甲斐のある仕事につけたと思っている。
以前、母からきた手紙の返事は今だに書いていなかった。僕は、母が元気そうな事が分かればそれでよかった。