僕の失恋8 短編

 和歌山から名古屋に戻り、僕の部屋に帰ったのは、夜の十一時を過ぎていた。

 日帰りは若い僕でも疲れているのに、大阪に戻った母さんには体に堪えただろうと心配になった。 和歌山の社長が亡くなって、母さんもどれだけ辛かっただろうか。一度は愛した男だ、僕という子供までつくった人だったのだ。 僕に真実を話さなければいけない時がくるなんて母は、思ってもいなかっただろう。ごめんよ、母さん。

 社長が亡くなったことで、美子も美子のお母さんもどれだけ心細いだろう。旅館のこれから先の事も心配だけど、美子に真実をどう話していいのか僕は迷っていた。僕も辛いが、僕といずれは結婚できると期待している美子が可哀そうになった。

 今晩、遅くに電話をしてほしいと美子に言ったが、もう零時を回っている。美子も疲れ果てているのだろう、明日の夜にでも僕の方から電話をしてみよう。明日は僕も仕事が早い、先輩を待たせたら大変だ。僕は、明日の書類の準備と着ていく服を用意してシャワーを浴びた。

 翌朝の目覚めは、気分が良かった。昨夜は、いろんな事があったので頭の中を整理していると、眠れないと思いつつ、いつの間にかストンと眠りに落ちて朝まで目が覚めなかった。四月に入ると各支店も決算でバタバタすると先輩が言っていた。早めに出てコンビニで朝食のパンと牛乳を買って駐車場の車の中で食べていたら先輩がやってきた。

 「おう!朝ご飯は、今日もパンか!? 昼まで腹は持つのか? 正人、昨日は知人の御不幸で有給つかったんだろ?遠くまで行ったのか?お疲れさん! さぁ、出かけるか!今日は、買い付けの特訓をするぞ!仕入れが命だ!覚悟しておけ。」

 「はい。和歌山への日帰りですよ。さぁ、では行きますか!?今日も頑張って先輩にしごかれましょうか!?」

 先輩はいつになく明るかった。多分、奥さんと今朝は喧嘩をしていないな?僕は心の中で、独り言をつぶやいていた。先輩の明るい性格が僕の心を和ませてくれる有難い先輩だった。

 明日は金曜日、先輩はいつも木曜日になると何故か機嫌がいい。何故だろう?いつか聞いてみよう。そんな事を考えながら車は高速に入った。

 その日の夜、八時回って和歌山の美子に電話をかけた。 なかなか電話に出ないので一度切って三十分後にまたかけてみた。

 「もしもし。あっ、美子!さっき電話かけたけど出れなかったの?今、大丈夫?心配していたよ。昨日は何も手伝えなくてごめんよ。日帰りだから、母さんの体の事も心配だったんだ。まだ、片付けも終わっていないだろう?旅館の従業員の人たちの手伝いはあるんだろう?」

 僕は、和歌山の旅館の様子を思い浮かべていた。

 「正人。電話をありがとう。昨日はお疲れさまでした。大阪のお母さんも遠い所へきてくれてお礼を言っておいてね。今日一日、旅館の人達とお葬式の後片付けと、これから先の事を話し合っていたの。旅館を続けるかどうか。母がね、頗る回復が早くて退院の日が決まったの。」

 「今日、病院へ行って先生の話も聞いてきたのよ。退院してからの家での過ごし方や薬の事、これからの治療の事も。おかげさまで手術も成功してここまで元気になられるとは!と先生も驚いておられたのよ。正人、あなたに会いたいけど母が退院してきたら、家を空けられなくなるわぁ。一人娘の辛い所ね。」

 「今日の、従業員の人達と番頭さんの専務さんとの話し合いで、順調な運営が続いている旅館を閉める事はないのでは?と、言われたの。母も続けて欲しい、そのうち自分も手伝うからと言っているわ。母は、いずれは正人も帰ってきて旅館の後を継いでくれるのではないかと、結婚にちょっと期待しているのよ。」

 「ごめんなさいね。勝手な事を言っている母を止められなかったの。気にしないで!正人は名古屋での仕事が一番!今は、現実的に無理な事は分かっているのよ。あぁ!ごめんなさい、私一人で喋っているのね。」

 そう言って美子は笑っていた。父親が亡くなって失望しても、自分の置かれた立場やこれから先の生活の基盤を元に戻す事が美子には重要な事なのだろう。

 こんな美子に、僕たちの真実を打ち明けるのは辛い。何をどう話して良いのか見当がつかなかった。美子を傷つけない様に話すには?僕は美子の話し声を聞きながらずっと考えていた。そして、昨日、美子の父親のお葬式が終わったばかりだ。

 急いで話す事はないだろう。美子のお母さんも退院してくるそうだし、番頭さんや従業員さん達と旅館を運営していく事で頭がいっぱいな美子に今、辛い思いをさせるべきではないと僕は考えた。

 「そっかぁ。お母さんの退院が早くなって良かったな。これからは、ますます忙しくなると思うけど体に気を付けて無理をしないでマイペースで頑張れよ。」

 「僕もやっと名古屋で社会人として慣れてきたところだ、忙しい毎日だけど遣り甲斐のある仕事だと思っているよ。お互い、これからも頑張ろう。美子、体に気を付けろよ!無理はするな!」

 それだけ言うのが僕の精一杯の言葉だった。しかし、いずれは美子に話さないといけない事だ。何時か分からないが逃げれない時がくるまで、このままの状態でやり過ごそうと心に決めていた。

 ベランダ越しの窓の外は朝からずっと雨が降っている。空気がジメジメしている六月も僕にとってまんざら悪くはない。

 名古屋の公団での住み心地も気にいっている。母と2人で暮らしていた大阪の帝塚山のマンションとは違い、公団住宅は散歩コースにも窓の外をのぞいても、樹々や季節ごとの花が花壇で揺れていて環境が良い事に最近、僕は気が付いた。

 今日は、久しぶりの休日だ。ここの所毎日、残業が続いていて朝の目覚めが気だるい日が続いていた。美子からの時々くるメールには、旅館の運営の様子が詳しく書いてあるが以前の様に、僕たちのこれからの事は書かなくなっていた。

 僕が曖昧な返事を書いているので美子は何かを察しているのかも知れない。

 旅館は、美子が若女将になってからというもの若い客の獲得が増えて雑誌にも取り上げられて有名になっていた。昔からある旅館だが、若い美子が新しい発想とアイディアであっという間に注目される旅館となってきていた。

 お互い仕事に打ち込んで時間が過ぎる事で見えてくるものもあると僕は思っている。

 さて、雨の中だが空っぽの冷蔵庫の中に貯えておかないと栄養不足になりかねないぞ。まずは、食料の調達に近くのスーパーに出かけようかなと思って着替えているとテーブルの上の携帯が鳴った。

 大学時代の友達、大沼京子だった。京子は時々忘れた頃に電話がかかってくる。

 「おはよう!正人。元気にしてる!? こっちが何も言わないと正人はまったく連絡をくれないねぇ!ちゃんと、生きてるのかね? 私は日曜日も仕事だよ!ちょっと今、さぼって正人に電話しているけどね。たまには、正人の方からかけてきてくれてもいいんじゃないのかなぁ!」

 朝から京子の明るい大きな声が、ボーっとしていた朝にはこっちまで元気が出てくる。最近、夜に一人で悶々と考える日々が多かったせいだろうと思った。

 「今度、四年生の時、時々つるんで遊んでいたメンバーからお誘いがあったよ!正人にも連絡きてる?合コンのメンバーが足らないからどうか?ってね。正人のお気に入りだった礼子さんも今回は登場するってさ!どう?」

 「へぇ~!マジっすか?珍しいねあの秀才が登場するとはね、誰かが強引に誘ったんじゃないの?彼女も社会人になって柔軟になったってことかな? それ、何時の話?最近、残業が多いから僕は、行けるかどうか分からないけど念のため日程を聞かせてよ!」

 「そっかぁ。正人も一端の社会人になったんじゃない!分かった。大学生の時と違って其々の日程を合わすのだ難しいらしくてね、それでも息抜きで楽しもうよ。と話がなったわけよ。来月末の土曜日の七時集合らしいよ。場所はまだ決まっていないって。決まったらまた連絡するからって事で、出席かどうかだけね先に須田に知らせて欲しいってさ。」

 「了解!考えてみるよ。ありがとう。じゃ、仕事、さぼるなよ!またね。」

 電話を切った後、僕は何かが僕の心の中で、吹っ切れたような気がしていた。

 美子との事は自分の幼少の頃から、僕の思春期に抱き続けてきた、掴み切れなかった幻想だったのかも知れない。

 母も、苦しんで生きてきた和歌山の時代から僕の成長を見て解放され、新しい思いを持って大阪に出てきたのだ。今は愛する人と幸せに第二の人生を謳歌している。そう考えると人生って明日の事は分からないのだ。だから面白い。

 今年も、後数日という時に母からハガキが届いた。

 帝塚山の父と一緒にヨーロッパ旅行の途中だと書いてあった。優しそうな義理父は母を慈しむように見ているのが印象的なツーショットだった。

 最近、美子からのメールも来なくなった。

 僕は思っている、勇気を出して、「僕たちは義理の兄妹だ」と秘密を告白してまで、わざわざ美子を傷つけなくても、季節が廻り、このまま抗わず流れに身を委ねるように生きていこうと思う。

 

 

 


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