大阪暮らし5 化粧品店

「夏美ちゃん、今日は佳代ちゃんと一緒に支店の方、任せてもええやろか?私なぁ、今日朝から人と会わなあかんねん。店の隣の薬局の店長に話てるから店、シャッター開ける時に声かけてや。頼みます。」

 朝食の後、秋ちゃんが夏美ちゃんに話しているのが聞こえてきた。佳代は台所で食器の後片付けをしている。今日は、心斎橋の店で二人っきりで夕方まで大丈夫だろうか?佳代はちょっと不安になった。

 最近やっと化粧品の名前や値段、どういう効果があるのかとか覚えたばかりだった。この松屋町の本店の方の化粧品の棚の中のブランドごとの位置を覚えて、支店の方の商品の位置がまだ覚えきれていない。

 資生堂がメインでカネボウ、マックス、コーセ、他にも数種類の化粧品のメーカーを置いていた。勉強会には、メインの化粧品会社だけ月に一度本社まで通っている。佳代は、初等科中等科と終わった所だった。

 「佳代ちゃん、聞こえてたやろ。今日は私と二人っきりやから、気引き締めて頑張ろな。大丈夫やよ、私がおるから心配いらん。」

 佳代の不安そうな顔を見て夏美が声をかけた。心斎橋店の店に着いたのは九時前、隣の薬局の店長に声をかけて店のシャッターを開けた。店の中に入り、化粧品の並ぶガラスのケースや棚を拭き掃除した後、商品の品出しを終わらせて店の外も掃除をしていると開店の十時になった。

 心斎橋商店街中ほどにある、四つ角に位置する薬局と一緒のフロアーがある化粧品の店舗だ。土日になるとたくさんの人で溢れて歩くのにも大変な場所であった。今日は平日なので客足もいつもよりも少ないと思う。だから秋ちゃんも二人に任せてでかけたのかと佳代は思っていた。

 昼前になると徐々に客が入ってきた。もうすぐ夏、化粧水や日焼け止め、ファンデーションも夏様にチェンジする人も多くその人に合った色を選ぶのも仕事。佳代は化粧品が好きなのだが、まだ新米なので自信をもって接客ができていないと自分では思う。不安だがそれを表面に出さないのがプロだと先生に教わっている。

 「佳代ちゃん、今のうちに裏に入ってお昼済ませといで。交代で食べよう。奥さんが作ってくれたおにぎりが棚の上にあるから。」

 夏美ちゃんが声をかけてくれた。客はさっき出て行った人が最後で、今は店には誰も居なかった。秋ちゃんと一緒の時には、夏美ちゃんと佳代と二人で休憩をとっていた。お昼ご飯は時々奥さんがおにぎりを作ってくれるのだが、ない時には近くで軽い軽食を買ってきていた。

 「いつもみたいに長く休憩とったらあかんよ、食べたらすぐに出てきてや。交代で私も早めに食べてくるわ午後から又、忙しくなるんやで。」

 「はい。ありがとう。分かりました。夏美ちゃん、お先に食べさせてもらいます。」

 佳代はそう言って奥に入った。午後から、夏美ちゃんの言った通り夕方まで客足が途切れなかった。

 「すみません。男性用の化粧水とヘアリキッドを下さい。」

 若い男性が夕方の客足が引いた店に一人で入ってきた。

 「あっ!バーテンさん!あっ、違った石田理さん。いらっしゃいませ。吃驚しました。化粧水とリキッドですね?今、使っているメーカーは分かりますか?」

 佳代は、驚いたが嬉しかった。又、バーテンさんに会えたと思うと自然と笑みが出た。先日の図書館の時一緒に喫茶店でオレンジジュースを飲んだ時を思い出した。

 「先日は、ジュースをご馳走様でした。」

 「あっ!君か?佳代ちゃんだったね、こちらこそ。話ができて楽しかったよ。誰だか分からなかったよ、今日はお化粧をしているんだね。それに、髪の毛の色が明るくなっている。別人だね。あっ、化粧水もリキッドも資生堂の安いやつ!あ、それそれ!」

 石田理は、男性化粧品が並ぶ棚の商品を指さした。そう言うと恥ずかしそうにポケットから財布を出し、夏美ちゃんが立っているレジで会計を済ませて笑顔で帰って行った。

 「佳代ちゃん、あの人誰なんよ!?佳代ちゃんも隅に置けへんなぁ。どこで知りおうたんやの?」

 夏美ちゃんには、何も話していなかった。事故の示談に出かける時に付き合ってとお願いしたが夏美ちゃんは、風邪で行けなくなったのでその後の話を一切していない。

 「ほらぁ~この前、夏美ちゃんが風邪をひいて寝込んでいた時に私一人で交通事故の示談にでかけた時の店にいたバーそテンさんです。あっ、でも本当の水商売の人ではなく、大学生のアルバイトだったそうです。今は指を怪我して辞めてしまったと、この間、図書館で会った時に言っていましたよ。」

 「え~図書館でも会うたの?喫茶店でジュースおごってもろうたん?秋ちゃんや奥さんには内緒やで、うるさいからな。そうそう、今日、秋ちゃん前回のお見合いが上手く行って結婚が具体的に決まったらしいでぇ。今日、その話ででかけたんちゃうかな?」

  「秋ちゃんの結婚が決まったら、この店は無くなるかも知れへんなぁ。佳代ちゃんも次の働き口を決めてた方がええと思うよ。急にそうなった時はお互い困るやろ。私は心当たりがあるから、ええねんけどね。アパートも引っ越さなあかんようになるやろうなぁ。」

 佳代は、夏美のいきなりの話でどうしていいのか分からなかった。そうかぁ、秋ちゃんが結婚したら、この店も閉めるのか。本店の方は客が少ないから従業員は要らないだろうと思ったら、アパートも住め無くなって佳代は行くところがない。閉店の時間まで客は無かった。

 「さぁ、レジの集計も終わったから、佳代ちゃん松屋町の店に戻ろう。多分今日は夕ご飯は、また出前かもよ!?」

 夏美ちゃんの言った通り夕ご飯は出前だった。

 「夏美ちゃん、佳代ちゃん、ちょっと話があるからこっちにきてくれへんか?これからの事やねんけどな。実は急やけど、秋ちゃんが結婚したら店を両方とも閉めようと思ってんねん。二人とも急がへんけど新しいアパートも仕事先も今年いっぱいで決めて欲しいんや!悪いなぁ急な話で。」

 台所で洗い物をしていた佳代と夏美が食卓テーブルの前で座ると同時に旦那さんが話始めていた。秋ちゃんと結婚する男性は大学病院のお医者様で、資産家なのに家族を最近亡くしたとかで、この松屋町の本店を閉めて、この家族と一緒にこの家を増築して生活する事になったとか。

 アパートに戻り、秋ちゃんは玉の輿になったと夏美ちゃんが一人騒いでいた。

 「今年いっぱいって、後半年の間に仕事先とアパートを探さないといけないのよねぇ。夏美ちゃんは、思い当たる働き口があるんでしょう?私はどうしようかなぁ。せっかく化粧品の事を勉強してこれから頑張ろうと思っていたのに。」

 佳代は、情けない顔をして夏美ちゃんに話していた。そうだ、また艶ちゃんに相談してみよう。艶ちゃんなら大阪の化粧品店の旦那さんを良く知っていると言っていた。せっかく化粧品に興味を持って勉強しているのだ今更別の仕事を探すのはもったいないと思った。

 佳代は、艶ちゃんに手紙を書いた。今のこの店の状況と、これから先の佳代の勤め先に心当たりありませんか?と相談してみたのだった。すると、2週間ほど経って艶ちゃんから返事がきた。相変わらず優しい書きだしで佳代の事を心配してくれて、お姉さんの様に気遣ってくれていた。

 それは、天王寺の商業ビルの中に入っている化粧品店で、店員が足らないので探しているという話だった。その事業主は大阪に5か所に店舗を持つ大きなお店で従業員もたくさん雇っているという話だった。

 それに、住むアパートも世話をしてくれるとの事で佳代は安堵した。とんとん拍子に話が決まり、今度の休みの日、艶ちゃんと一緒に社長に会いに行く事になった。

 艶ちゃんは、最近化粧品店を辞めて梅田の北の大きなクラブで本業として働き始めたと書いてあった。そのお店に以前勤めていた化粧品店の事業主さん、ご主人さんが艶ちゃん目当てに集まるらしい。艶ちゃんの美貌なら男性は喜んで通うだろうと佳代は思った。

***

 「佳代ちゃん綺麗になったね!お化粧、上手になって!今日は、佳代ちゃんに紹介するお店の旦那さんに会ってもらうからね、佳代ちゃんは何も心配いらないから。大丈夫だからね。」

 艶ちゃんと待ち合わせたのは、天王寺の駅近くの喫茶店だった。佳代に分かりやすい様に地図も書いて手紙の中に入れてあった。艶ちゃんは以前に増して抜けるような白い肌で綺麗で色っぽく女らしかった。佳代が新しく勤める事になるお店がこの近くだからと、後で見に行こうと艶ちゃんは言ってくれた。

 「やぁ。君だね。何歳?可愛いね。メーカーの勉強会はどこのクラスまで進んでいるのかな?美顔技術も勉強してる?」

 店に入ってきた男性は、艶ちゃんと笑顔を交し椅子に座るといきなり佳代の顔を見て喋り始めた。今のお店の旦那さんよりもずっと若い旦那さんだった。艶ちゃんは、社長さんと呼んでいた。

 佳代が返事をする間も待てないように、側にきたウエイトレスさんにコーヒーとサンドイッチを頼んだ。

「はい。山下佳代といいます。年齢は十九歳です、年が明けると二十歳になります。化粧品の勉強会は初等科と中等科、高等科はまだですが先に美顔技術も勉強しました。今は時々お客様に美顔器を使って肌のお手入れをやらせてもらっています。」

 緊張しながらも、はきはきと答えられてホッとした佳代だった。今日は、丁寧に化粧もしている。アイシャドーもアイライナーも眉毛も整えてアイブローペンシルで整えた。最近は流行りの付けまつ毛も、短くカットして目立たない様に付けていた。髪の毛も新製品のヘアカラーで明るい目の色を染めているのだ。

 佳代の最近の顔は、すっぴんの時と違い、大人っぽい女性に見えた。大きな瞳とツンと細い鼻先、整った顔が一段と若い女性らしく明るく華やかに綺麗だった。そんな佳代を一目見て気に入ったのだろう、社長が艶ちゃんに言った。

 「艶ちゃん、決めたよ。山下さんは、うちに来てもらおう。アパートもお世話するよ。いいね、佳代ちゃん!九月から来てもらえるかな?ここの阿倍野のお店の近くにアパートが有ってね、店に勤める他の娘たちも住んでいるので一応、寮的な感じだけど一人ずつ一部屋あるから心配いらないよ。」

 「もちろん自炊もできるから。お風呂は近くの銭湯へ行ってもらう。すぐ近くに銭湯もあるから。なに、大丈夫さすぐに慣れる、いい娘ばかりだから心配いらないよ。」

 若い社長は、優しかった。本当に支店がいっぱいあるお店の社長なのかと佳代は感心したし、艶ちゃんにも感謝の気持ちしかなかった。

 「艶ちゃん、今日はいろいろとありがとうございました。いつも艶ちゃんに甘えてばかりで感謝しています。私、一生懸命働いて艶ちゃんの名前を汚さない様に頑張ります。あ、それから、以前、艶ちゃんの彼氏さんに私の傘を届けてもらってありがとうございました。お礼、遅くなってごめんなさい。」

 社長が喫茶店を出た後、二人残って社長が注文してくれたサンドイッチを食べながら佳代は、艶ちゃんにお礼を言った。

 「あぁ~あの彼ね。もう別れたの。彼は大学生だったでしょう、優しかったけどまだ子供っぽくって。彼とは、店で知り合ったけどお金持ちの息子は大変よね、家でも期待されていて。」

 艶ちゃんは、言葉の途中で声が小さくなった。一点を見つめながら何か考えているようだった。艶ちゃんにも辛い事があったのだろうと佳代は深く聞かないで曖昧に、あいずちをうつだけだった。

***

 その夜、松屋町のアパートに戻り夏美ちゃんに今日一日あった事を報告した。新しい勤め先や今度住むアパートの事、若い社長の事も話した。

 「そっかぁ。佳代ちゃんも決まったんやねぇ。実は、私も新しく勤める店が決まったんよ。化粧品店じゃないんよ。実は、いつも遊びに出かけていた店で雇ってもらえるようになってん。」

 「心斎橋から宗右衛門町に入る通りのクラブ!大きな店じゃないけどなぁ雰囲気がいいんよ。佳代ちゃんも落ち着いたら一度、店に遊びにきてな。夜、出歩かん佳代ちゃんやけど、一度くらいは、私に会いに来てや!」

 夏美ちゃんは、佳代に明るい声で何か吹っ切れたように報告してくれた。二人とも、先の事を考えて少し寂しい気がしていた。

 「佳代ちゃん、銭湯へ行こう。今日は、帰り、お好み焼きをおごってあげる!お風呂屋さんの横の路地を入ったらな、美味しいお好み焼き屋さんがあってな。前に一度食べた事があるんよ。めっちゃ美味しかったから期待してもええよ!」

 松屋町の店での生活も後一カ月となった。最近は、本店ではなく、佳代は心斎橋の店を手伝って三人で最後まで頑張ろうと話している。

 「いらっしゃいませ。化粧水ですか?今の季節はこちらの商品がお勧めですよ。さっぱりタイプの化粧水ですけどね、付けた後さっぱりしているのに、肌に残るしっとり感が今、一番良く売れている商品なんです。お値段もお手頃ですしね。」

 秋ちゃんがお客様の手の甲に、コットンに浸した化粧水をパタパタと付けていた。この勧めている商品は、今の時期のメーカーのお勧め商品で販売員一人何個売るのかを競うコンテスト商品だった。

 店内に入っている、お客様を夏美ちゃんと佳代も接客対応していた。時々、こんなコンテストがメーカー主催であった。佳代は、以前ハンドクリームの販売コンテストで優秀賞をもらった事がある。

 「すみません。ヘアリキッドを下さい。」

 佳代がお客様のレジを済ませてカウンターに戻ったと同時に見覚えのある男性。それは、石田理さんあの、バーテンさんだった。佳代は、嬉しかった。

 「はい。いつもありがとうございます。コレですね?」

 佳代は、レジを済ませて石田理さんに商品を渡して、小声で言った。

 「私、もうすぐこの店を辞めます。秋から、天王寺のビルの中にあるお店で働きます。今度お手紙書いてもいいですか?もし、良かったらこのメモにバーテンさんの住所を書いてもらえませんか?迷惑だったら、無理しなくて大丈夫ですから。」

 佳代は、秋ちゃんと夏美ちゃんがまだ他のお客様の接客をしているのを横目で見ながら石田理さんに話した。理さんは佳代の目を見ながら微笑んで自分の住所を書いてくれた。佳代のアパートからそんなに遠くない場所の住所だった。

***

 天王寺に引っ越す三日ほど前に佳代は石田理さんに手紙を書いた。

 「こんにちは。先日は、突然住所を書いてくださいとお願いしてごめんなさい。びっくりしたでしょう。天王寺に引っ越したらもうバーテンさんに会えなくなると思ったら、私、咄嗟にあんな事言ってしまって恥ずかしいです。」

 「最近は、図書館にも行けていません。新しく引っ越す天王寺のお店に慣れてきたらまた、休みの日に図書館に行こうと思っています。それまで頑張って環境に慣れて、仕事を覚えないといけません。天王寺の化粧品店は今の店と規模が違って人数も多くて不安です。でも、私、頑張ります。」 

 「早く一人前になって大人の女性にならなくちゃね。石田さんも来年は大学を卒業して就職ですね?体に気を付けて頑張ってください。また、手紙を書きます。山下佳代。」

 佳代は、手紙を書いた後心配になった。ちょっと馴れ馴れしいかな?でも、数回バーテンさんは、店にきてくれたし、図書館ではジュースもおごってくれた。あれはデート?そう思いながら佳代は、胸のあたりがドキドキしてキュっとした。


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