大阪暮らし3 交通事故

 佳代は、賑やかな都会での暮らしも、だいぶ慣れてきた。

 今朝も変わらず、朝食を済ませて皆の食べた食器やテーブルの後片付けをしていると、二階から階段を慌てて降りてくる奥さんが、何か大声で叫んでいる。

「大変やわぁ!!アキラがおらん!!あのこ、家出したんや!!」

 奥さんが手に持っているのは、アキラくんからの置手紙のメモらしい。長男のアキラくんは、佳代よりも一つ年下の高校三年生。いつも二階の自分の部屋で本を読んでいる大人しい性格の男の子だった。

 佳代がいつも二階の部屋の掃除をしていたのでアキラくんは気を使ってくれた。部屋を掃除しやすい様に片付けてくれたり、たまに面白かった本を貸してくれるのだった。

 それも、照れながら言葉少なく単行本を手渡してくれる様子がシャイで可愛いと思った。しかし、両親には何故か反抗的でそっけなかった。

 夏美ちゃんが、そんなアキラくんをよくからかっていたのだ。

 私は驚いた。まさか家出なんてするような勇気がある子だったのか。奥さんは大騒ぎしている。アキラくんの自転車も無いらしい。置手紙には、自転車で九州一周してくる。心配しないで下さいとだけ書いてあったと、奥さんは涙目になって騒いでいた。

 支店の秋ちゃんにも、奥さんは興奮して電話をしていた。今日は旦那さんが留守の日と分かってのアキラくんの計画的犯行だ。組合の寄り合いで一泊で温泉旅行に出かけて留守の日だったのだ。

 秋ちゃんは以前、商社マンとお見合いをしたが上手く行かなかったようだ。秋ちゃんの方が気に入らなかったらしい。それも夏美ちゃんからの情報だった。その後、何度かお見合いをしたが断ったり断られたりで上手く行っていなかった。

 その日の晩御飯は、近所の食堂から丼物を取って済ませた。

 次の日の夜に、旦那さんが帰ってきたが、報告する奥さんの興奮した声も聞いているのかいないのか、と思うほどに聞き流して驚いた様子が無かったのは、何故だろう放任主義なのかなと佳代は思った。

 一カ月が過ぎた頃、真っ黒に日焼けしたアキラくんが帰ってきた。ずいぶんと顔が男らしく逞しく輝いて見えた。佳代はアキラくんが眩しかった。

 そして、ある日の朝、旦那さんが夏美ちゃんと私を食卓に座らせて話があるといつもに無い厳しい顔になったのだった。

 「夏美ちゃん。佳代ちゃん。よう聞いてや。今までこの店の二階で二人とも仲よう暮らしていたけどな。これからは二人で近所のアパートに引っ越して店に通って欲しいんや! もう、相手さんとは契約しているよってに荷物を運んだらええだけになっとるから。」

 「二階には、アキラの部屋もあるし、あんたらが出た後の部屋にはまーくんの部屋にしようと思っとるんや。まーくんも下のわたしらの和室では、もう窮屈や言うしなぁ。明日からそっちに引っ越すようにしとるから、よろしゅうに頼むわな。」

 旦那さんの顔がやっと緩くなった。

 その夜、銭湯の帰りに夏美ちゃんが言うことに佳代は驚いた。

 「あんなぁ。佳代ちゃん。絶対に誰にも言うたらあかんでぇ。アキラくんが佳代ちゃんの事を好きになったんやないかって、旦那さんも奥さんも思うてはる。同じ屋根の下に、子供たちを若い娘と暮らさせたら、ろくなことが無い言うてはったわ。昨日の晩にトイレに行くときに廊下で聞いてん!」

 夏美は、神妙な顔つきで佳代に話してくれた。

 「まぁ、気にしなや。私は、アパートで自由に暮らせるようになって嬉しいんよ。佳代ちゃんも奥さんに夜、雑用を頼まれんでええやんか。そやけどなぁ、トイレは嫌やなぁ。共同トイレは気持ち悪いやろ。でも、まぁ贅沢は言うてられへんからなぁ。」

 次の日の朝から、二人は引っ越しの荷物を小分けにしてお店の斜め向かいのアパートに運んだ。二人とも今まで使っていた重い布団は持って行かなかった。途中、夏美ちゃんと二人で近くの家具屋さんで小さな安い箪笥を買って店の人に運んでもらった。

 布団も近くのお店で新しい軽い布団を買って揃えた。この辺りは賑やかな心斎橋の通りとは違って問屋がいっぱい並んで安く何でも揃えられるのだった。食事は今まで通りお店で食べる事になった。佳代のお手伝いさん業も今までのまま。それでも夜は自由だった。

 夏美ちゃんはいつものように、呆気らかんとした顔で話している。二人の部屋は六畳一間で二人の小さな箪笥を置くと、二つ布団を敷くのがやっとの広さだった。アパートの玄関を入り二階への階段を上ると、廊下から引き戸を開けたらすぐの所に、二畳ほどのキッチンがあるが自炊はしていない。

同じような部屋が隣から三つほど並んであった。狭いアパートだと思う。

 引っ越して以来、夏美ちゃんは夜になると一人出かけていた。たまに佳代も誘われるのだが夏美ちゃんの行く店はあまり好きじゃなかったので一人で夜アパートにいる事が多くなったが、一人も楽しかった。

 中之島の図書館で借りた本を読んだり、ラジオを聞いたり、夜は長くて自由があった。時々、お腹が空くと近所のお好み焼き屋さんで、一人で店に入って食べるのが一番の楽しみだった。最初はお店に入るのも勇気がいったが今は慣れてきてお好み焼きを焼いてくれる、おじちゃんとおばちゃんが面白くて楽しかった。

 相変わらず、夏美ちゃんはお店で朝食を食べた後、秋ちゃんと支店にでかけて夕方まで働き、松屋町に戻り、夕飯を食べて先にアパートにもどり一人出かけて行くのが日課になっていた。

 「佳代ちゃん、明日の佳代ちゃんのお休みに、私も一緒にお休みもろうたから、朝から一緒に買い物に心斎橋の方まで出かけへん?」

「あんなぁ、実は秋ちゃん、お見合いやねん。奥さんも旦那さんも一緒にでかけるから支店の方もお休みにしたんやて!ラッキィやったわぁ。」

 夏美ちゃんの頗る、ご機嫌な様子が佳代は可笑しかった。

 最近のお休みの日は、朝食を自分たちで食べる事になっていたので、いつも前の日にどちらかが二人分の菓子パンを買っていた。お店に行く事もなく自由に過ごせた。

 朝、ゆっくりと二人は起きて顔を洗い菓子パンを食べた。夏美ちゃんは丁寧に付けまつ毛を付けてファンデーションもいつもよりも丁寧に塗っていた。最近、時々夏美ちゃんはお化粧をしながら煙草を吸っている。佳代はちょっと煙いと思っていたが、あえて何も言わなかった。

 アパートから出て、賑やかな繁華街までゆっくりと二人は歩いた。賑やかな通りまでは、いろんなお店が並び人も多く歩いている。初めの頃は、狭い道路に人と車とで危ないと思ったがいつもの様子なので慣れていた。運転する人も、車をゆっくりと運転して進んでいた。

 四つ角で、左側の歩道を歩いていた私は、右側の道路から左折する車と接触した。と、言っても私が一歩右足を道路に出した時に、左からゆっくりと走っていた車が左折したのでその時、私の右足の上をスローモーションのように車の左後輪のタイヤが靴の上に乗ったのだ。

 新しい流行りの先の丸い靴を買ったばかりだった私は、そっちの方に気を取られて一瞬何が起きたのか分からないくらいスローモーションだった。「あぁ~大事な靴の上にタイヤが!」と思った瞬間右足先の痛みが襲ってその場に座り込んだ。車は慌てて止まり中から降りてきたのは若い男性だった。

 「大丈夫なん?佳代ちゃん、大丈夫かぁ?」

 夏美ちゃんが駆け寄ってきた。その車に乗っていた若い男性も私の足を見ていた。私は痛みで顔を歪めていたのだろう、夏美ちゃんがその男性に興奮して言った。

 「何してんのん!あんたの車でこの娘が足を怪我したんやで。早う病院へ連れて行ってあげて!私が知っている病院がすぐそこやから!」

 そう言うと、夏美ちゃんも一緒に車に乗り込んできた。近くの個人病院へ急いだ。その男性は、緊張していたのか無言。怪我は大したことがなかったが、右足の親指から小指までがタイヤが乗ったので軽い捻挫らしく、痛み止めの薬と湿布薬をくれた。病院の支払いは、その泣きそうな顔の男性が払ってくれた。

 夏美ちゃんは、相手の男性の連絡先のメモをもらい、私の連絡先として、松下化粧品店の住所と電話番号を書いてその男性に渡した。その日は、買い物も中止で私は、足を引きずりながらアパートに戻った。夏美ちゃんが一緒にアパートまで送ってくれた。

「せっかくのお休みやから、私は、ちょっと遊んでくるね!」

と、夏美ちゃんはニヤッと笑ってペロッと舌を出して出かけて行った。いつも側に夏美ちゃんがいる。佳代は安心できる夏美との波調が好きだった。サバサバした性格もとても居心地が良かった。

 

 

 


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