大阪暮らし6 一人暮らし

 「佳代ちゃん、ちょっとこっちに来て!皆に紹介するから。自己紹介をしてもらおうかな?店を開ける前だから、簡単にね!」

 佳代が天王寺の化粧品店「コスメクラブ」での初出勤の日、社長である北雄三がシャッターを開ける前に店の女の子たち八人を集めた。

 「山下佳代と申します。歳は十九歳です。松屋町の化粧品店から、こちらでお世話になる事になりました。どうぞ、皆さんよろしくお願いします。」

 佳代は深々と頭を下げた。社長と二人並んで店の女の子八人の前で対面していた。

 「武田さん!これから先、佳代ちゃんの事いろいろ教えてあげて下さい。アパートも同じだから、そちらの方も見てあげてね!あぁ~。それから、順番に自分の名前を言って佳代ちゃんに教えてあげて!」

 社長が全員を見渡した後、一番右に居た武田さんに声をかけた。優しそうな武田さんは一番年長の様に見えた。八人は、一人ずつ自分の名前を教えてくれた。

 「よろしくお願いします。」

 佳代は、もう一度頭を下げて挨拶をした。そうこうしている内に開店の時間になり其々の持ち場に散って行った。朝、店に入るのが九時。掃除や化粧品の補充、ミーティングが終わると十時になり店を開ける事になっている。

 「さぁ、今日も頑張って店を開けるよ!」

 武田さんが皆さんに声をかけてシャッターを開けた。店の中は、化粧品の陳列されているショーケースのカウンターが、店入り口から入ると右側に一つ、左側に一つ、中央に二つ並んでいる。従業員は薄いピンク色の制服を着てカウンターの中に入る。立ち位置の後ろにはブランドごとに商品が並んでいる天井まである高いケース棚がある。

 「佳代ちゃんは、入り口左側のカウンターに私と一緒に入ってね。カウンターには大体、いつも二人で入る事になっていて助け合って化粧品を販売するのよ。分からない事があったら何でもいいから私に聞いて!」

 武田さんが佳代に気を使って言ってくれた。

 「はい。ありがとうございます。私、まだまだ化粧品の事分からない事だらけで初心者なので教わる事がいっぱいあると思います。よろしくお願いします。」

 一日も早く、化粧品の置いてある位置や皆さんの名前を覚えるのが、慣れる事の一番早道と決めて、休憩時間に武田さんにもう一度確認してメモを取った。佳代は、今までの環境とは全く違い、慣れるのが大変だろうと思うが、今までの自分よりも少しだけ向上していると思った。

 「あっ!佳代ちゃんだったね、朝に挨拶したけど私は山下美緒、美緒ちゃんと呼んでくれたらいいよ。佳代ちゃんと同い年だからよろしくね。アパートも同じだと思うから。」

 「あっ。はい。ありがとうございます。よろしくお願いします。」

 佳代は、同い年だという美緒が声をかけてくれて少し緊張がほぐれた。印象から見て、佳代と一番気が合いそうな雰囲気で内心嬉しかった。

 店を出て、隣の細い階段を上がると二階の食堂が店の休憩場所になっている。食堂の奥が従業員のロッカールームでここで制服と着替えて店に入るのだった。

 お昼休憩は、四人ずつが交代で取っていた。自由に自分で弁当を持ってきてもいいし、側の商店街で総菜を買って食べても良かった。以前の松屋町の店では奥さんが用意してくれたご飯だけでは足らなかったのを思い出す。買いに行く自由もなかったのでいつもお腹が空いていた佳代だった。

 初日の一日は、あっという間に過ぎて閉店まで時間が経つのが早かった。

 化粧品の販売はまったくで、入り口に積上げているハンドクリームや大きな籠の中の安い化粧水、小物類だけで一日が終わった。お客様に化粧品名を言われても、陳列棚のどこにあるのか分からないのでドキドキして緊張が止まらなかった。

 今度、朝早めに来て陳列棚の商品の位置を覚えようと考えていた。

 「佳代ちゃん、一緒に帰ろう。アパートまでの近道や商店街の中を通るからおすすめのお店、教えるよ。」

  ロッカールームで着替えていると、お昼休憩の時話しかけてくれた美緒ちゃんが佳代に声をかけてくれた。

 「あっ。ありがとう。美緒ちゃん。ホント、嬉しいよ。私、心細かったんだ。」

 二人は並んで店を出て、賑やかな通りを抜けて、商店街の入り口からゆっくり歩いた。ビルの中にある店の並びは、旅行会社や呉服屋さんや大きなレストランがならんで都会的だが、少し外れた場所にある商店街に入ると佳代はホッとする。

 「そうだ!さっき帰りに武田さんに頼まれたんだよね。佳代ちゃんにアパートの事や買い物の事を教えてあげてね!同い年の美緒ちゃんと気が合いそうだから。お願いね!って。言われちゃったよ。

 今晩のおかず何にする?買い物して帰ろう。佳代ちゃん何号室?私は二階の十一号室だよ。」

 「えぇ~!良かった。私は、二階の十号室なの。嬉しいわ!美緒ちゃんの隣の部屋だよ。今日は、私の部屋で美緒ちゃんも一緒に食べない?晩ごはんカレーにするよ。ご馳走します。今日はいろいろお世話になったし、食事の後にお風呂屋さんにも一緒に行ってくれたら嬉しいんだけどなぁ。」

 「分かった。じゃ、お肉屋さんと八百屋さんに寄ろう。カレーのルウも八百屋さんに置いてあるよ。佳代ちゃん!お米は買っている?」

 「大丈夫だよ。引っ越しの前に調味料やお米は買っておいたんだよ。調味料と言ってもそんなに種類はないけどね、何とかなるでしょ。でも、美緒ちゃんの口に合うかな。ちょっと心配。」

 長い商店街を抜けると佳代が引っ越してきたアパートがある。「みどり壮」には、入り口を入ると管理人の部屋があり小窓の棚には黒電話が置いてあった。管理人のおばさんは、一度会ったきりだが怖そうな顔だった。

 黒電話の横の小窓はいつも閉まっているので居るのかどうか分からない。

 松屋町で知り合いになったお好み焼き屋のおじさんが、今まで住んでいたアパートの小さな箪笥やお布団を、このみどり壮まで軽トラックで運んでくれたのだった。その時に会ったきりで、見るからに厳しそうなおばさんのイメージだった。

 お風呂屋の様な大きな下駄箱が何列も並び、廊下を挟んで右に五部屋、左に四部屋。隣が共同のトイレになっていた。二階にも同じような部屋数で廊下を挟んで部屋があるのだろう。

 佳代の部屋は、階段を上がってすぐの二階の十号室だった。料理の経験は、住み込みで働いていた松屋町の店で奥さんの代わりに時々手伝っていたので自分の食べる分くらいは作っていた。

 引っ越して来てからは自炊だと思い台所用品を最低限は揃えてあったので大丈夫だろう。

 「美緒ちゃん、カレーを作るよ!私は、牛肉は使わず豚肉で作るのが大好きなの。美緒ちゃん豚肉は大丈夫?食べられる?」

 「佳代ちゃん、ありがとう。私豚肉大好きだよ。それに、カレーも大好物だぁ!」

 そう言って美緒ちゃんは満面の笑みを佳代に向けた。

  夕飯が終わり、二人は近所にある銭湯へ行った。今度のお風呂は湯舟が三つあったので面白いと思った。小さい湯舟は多分小さな子供用なのかなぁ。佳代は、お風呂につかると一日の疲れがとれて気持ち良かった。新しい生活が始まって、こっちに引っ越して来て初めてリラックスできた時間だった。

***

  九月から天王寺にある今の、このお店に来てからというもの店とアパートの往復で毎日の時間が慌ただしく過ぎて佳代の新生活も少しずつ慣れた秋口の十一月終わり頃、バーテンさんから手紙の返事が着た。

 「佳代ちゃん、お手紙をありがとう。元気にしていますか?僕は、やっと就職活動も終わってね、今ゆっくりと手紙を書いています。図書館へは時々行っています。いつも佳代ちゃんが来ていないかなぁと思って公園の辺りを歩くけど、居なかった。」

 「僕は来年の春から大阪に本社がある建設会社に就職が決まったよ。今はアルバイトを頑張っている。佳代ちゃんと初めて会ったあの店、クラブのバーテンを一度、指のケガでやめたけどバーテンの人手が足らなくて困ったマスターが給与をアップするから来年の春まで来て欲しいと言われてね、また復帰しているよ。」

 「僕の家もそんなに裕福な家じゃないからね、奨学金を借りて大学卒業までアルバイトをして頑張ったんだ。佳代ちゃんも頑張り屋さんだけど僕も同じさ。会社勤めになったら毎月、借りている奨学金を返済し続けなくちゃいけないから、いったいいつまで返済があるのか気が遠くなるよ。」

 「そうそう、話が変わるけど今年のクリスマス、十二月の二十五日、夜七時に僕と一緒にクリスマスパーティーに行ってくれないかな?心斎橋の小さなお店を借り切って大学の友達グループでパーティーをやるんだけど。

 それまでに、一度会いたいね。佳代ちゃんのお休みの日はいつ?中之島の図書館の、あの公園で待ち合わせたらどう?一緒にご飯食べて映画でも観ようよ!?返事待っています。 石田理 」

  手紙を読みながら、胸がドキドキしていた。佳代が手紙を書いて三か月が過ぎる。もう無理かも知れないと、一度は諦めかけた恋だった。バーテンさんも毎日、頑張っているんだと思うと自分も早く一人前の化粧品アドバイザーにならないといけないと、力が湧いてきた。

 「バーテンさん、お手紙をありがとうございます。本当に嬉しかったです。私のお店の定休日は毎週水曜日です。月が変わって十二月、最初の水曜日か次の水曜日でどうでしょう?中之島の図書館のあの場所で私、二週続けて水曜日昼前に待っています。来れる日に来てください。もし、両方とも都合が悪ければまたお手紙を下さい。山下佳代。」

 書き終わるとすぐ、近所のポストまで走って行った。外は寒く羽織って出たコートの衿を立てた。佳代の嫌いな冬の季節がまたやってくる、今年の冬は佳代にとって初めてのクリスマスパーティー!それも、大好きなバーテンさんと一緒に。今度、映画も食事もできるんだと思うと気持ちが高ぶって寒いのに顔だけ熱っていた。


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