大阪暮らし1 住み込みのしごと

「佳代ちゃ~ん! 買い物に行ってきてくれへんか?!

今日は、まーくんの好きなカレーにするから。長堀商店街のお肉屋と八百屋さんに寄ってな!」

 この店の奥さんは、子供が三人いた。長女はもう成人していて心斎橋の化粧品店の支店の方を手伝っている。長男は高校二年生。次男がその、まーくんなのだ。小学一年生の男の子。

 ずいぶんと年の離れた兄妹だな、と佳代は思っていた。奥さんは、高齢で生んだ次男のまーくんが可愛くてしょうがないみたいだ。とても甘えん坊のまーくんは体が弱いので、それもあるのかなぁと思っていた。


 ここの化粧品店を紹介してくれたのが職場で知り合った艶ちゃんだった。電機会社で一緒に行動を共にしていた美代ちゃんは、ちょっとした事で気まずくなってしまった。

***

 佳代が大阪にやってきたのは、中学を卒業してすぐの事。

 集団就職で大きな電機会社に就職したが世の中が不景気になって会社は倒産した。

 寮で暮らしていた佳代は行く当てもなく困っていた時、実家から通っていた同僚の美代ちゃんが自分の家に来ないと誘ってくれた。一日でも早く住むところを探さないといけないと焦っていた。

 美代ちゃんと二人で、町工場やレコード店の店員を試しに一週間ほど経験したが、気に入らなくて彼女が辞めると佳代も流されて一緒にくっついて辞めていた。

 佳代は、幼いころから不思議な能力があった。

人と話をしていると頭の中がザワザワしてきた時に、相手の考えている事が透けて見えるのだ。田舎を出る時、母にきつく言われたことがある。

「佳代!!決して人様にその事を話したらいけんよ。話すと佳代が生きていくのに邪魔になる。」

 「見えた事を自分だけで、よく考えて佳代がこれからを、どう選んで人生を生きていくのかで幸せになれるかどうかが決まるんじゃからね。」

 普段は優柔不断で寂しがりやなのに、時々この不思議な力が現れて佳代の運命を導いてくれる。

その事に、始めて気が付いたのは、小学六年生の時だった。

 漁師だった父は毎日、酒を飲んで暴れていた。酒乱で被害妄想だった父は、母に暴力ばかり振るっていた。子供だった佳代が止めに入った時にも、相手構わず暴力を佳代にまで振るった事もあった。

子供心にそんな父が大嫌いで、早く死ねばいいのにと、母が殴られるたびにいつも思っていた。

辛い毎日の繰り返しの中、事件が起きた。

「お前の事を噂しているもんがおるんじゃ!!悟とできとるらしいのお!」

「何言うとるん、家が貧乏じゃけん、困っとろう!言うて悟さんが残りの魚をくれとるだけじゃがぁ!危ないから、そんなもん振り回すのは止めて!」

母は、叫びながら父の持つ出刃包丁を取り上げようと必死だった。ほんの一瞬母の声が途切れて静かになった時、父のお腹に包丁が刺さって母は呆然と立っていた。

佳代は、妹の京香と二人薄暗い汚い部屋の襖の隅で見つめていた時、急に頭の中がざわざわしてきて母の声が聞こえた。

 「ごめんなぁ、あんたは死んでくれて良かったんじゃぁ。」

母の辛そうな悲しい声が佳代の頭の奥に響いて聞こえてきた。

 小さな漁師町で起きた事件は、正当防衛という事になって母は刑務所には入らず、貧しいながら漁連で母は下働きをさせてもらい、三人で佳代が中学を卒業するまで暮らした。近所の人達も父の酒乱や暴力の事を知っていたので、母の人柄もあってか皆、同情的で親切にしてくれた。

 中学生になった頃、頭の中に聞こえたその事を勇気を出して母に話してみた。その後も度々、人の嫌な言葉が聞えてくるので怖くなっていたのだ。

***

 

 佳代は、前の工場で好きだった人の事をよく美代ちゃんに話していた。美代ちゃんが優しく聞いてくれてお姉さんみたいに慕っていたが、ある時、美代ちゃんの考えが見えてしまった。

 いつも優しく相談に乗ってくれて話も聞いてくれていた美代ちゃんが、佳代に内緒でその人と付き合っていた事が見えてショックを受けたのだった。佳代は、美代ちゃんの家を出る時、その事は、言わなかった 。

 「美代ちゃん、二週間だったけど、お世話になりました。おばちゃんにもお礼を言っておいてください。いつも美代ちゃんと同じようにお弁当を作ってくれて嬉しかったと伝えてね。」

 「今までの家賃と食費は次に働いた所のお給料が出たら必ず払いにくるから。それまで待って下さい。」

***

 このお店にはもう一人、店員兼お手伝いさんがいる。

 夏美ちゃんだ。彼女は福井県から出てきたらしい。色白でいつも長い付けまつ毛をしていた。佳代の先輩になる夏美は、長女の秋ちゃんといつも行動を共にしていて佳代が入ってきたのを機に支店の方を手伝っている。

 夏美ちゃんは、休みの日になると、ミニスカートをはいて濃い化粧をして難波の町へくりだしていく。たぶん、ディスコだろう。

 夏美ちゃんは、佳代と同じ部屋で寝ていた。お風呂も近くの銭湯へ二人で出かけて、なんでも教えてくれた。いつも夜になるとポータブルプレーヤーで、トワ・エ・モワ の「或る日突然」 をかけて歌っていた。

 「はい。奥さん、牛肉でカレーも美味しいのですが豚肉のロースでカレーも美味しいですよ。前に居た下宿先では、いつも豚肉でした。節約にもなりますしね。」

 佳代が言うと。

 「ほな、佳代ちゃん。今日は、豚肉で作ろかねぇ。頼むわ。洗いもんが終わったら、早ように行ってきいや。寄り道しなや。」

 「はい。分かりました。他に買い物はないですか?」

 「そやなぁ、まーくんの好きなバナナも買うてきてくれへんか。」

 そう言うと奥さんは、お店の雑貨の伝票を食卓の大きなテーブルに広げて目を通し始めた。旦那さんは、巨体で小柄な奥さんよりもずいぶん年上のようにも見える。大きな黒縁の老眼をかけて一緒に伝票をチェックしていた。

 その日の夜、食事の時に奥さんが言った。

 「今日の、この、ご飯。夏美ちゃんの実家の畑で取れたお米なんやで。送ってくれはったんやがな。美味しいなぁ。夏美ちゃん、お母さんによろしゅうに言うてや。」

 夏美は、佳代の顔をドヤ顔で見た。佳代は、少し肩身が狭かった。

 翌朝、二人の朝食は奥さんがご飯だけは炊いてくれていたが、おかずの卵焼きはいつも自分たちで焼くことになっていた。奥さんや旦那さん子供たちの家族が食べ終わると従業員の二人が食べる。卵焼きのない時には佃煮や昨夜のおかずの残りで朝食をちゃっちゃと済ますのが日課になっていた。

 佳代は、夏美ちゃんと並んでご飯を食べるが嫌だった。夏美ちゃんは食べるのが早すぎて佳代はいつもおかずを夏美ちゃんに食べられるのだ。それでも佳代は夏美ちゃんが好きだった。面倒見の良い夏美は新入りの佳代の世話をよくやいた。

 二階の私たちの部屋は六畳で押し入れには、重くて分厚い古い布団が二人分入れてある。その横に小さな箱を二つ並べて佳代と夏美ちゃんの日常品を入れていた。もちろん服もその箱の中なので着る時には、しわが気になってしょうがなかった。

 夏美ちゃんは、佳代よりも一つ年上の十九歳。もう、すでに大阪人になっているような流暢な大阪弁を使いこなす。佳代は、大阪弁に慣れていないのでなるべく標準語で話すようにしていた。

 「佳代ちゃん。今日は支店の商店街がお休みやから、佳代ちゃんと一緒にお店番をしてやぁって、奥さんに言われてんねんけど、私ちょっと心斎橋に買い物に行って来たらあかん?帰ったら一緒に店番するから。」

 夏美ちゃんは、今日は、長女の秋ちゃんのお見合いに奥さんと旦那さんと三人で出かけたのを知っていて佳代に言った。夏美ちゃんは、佳代に比べとても要領がいいのだった。

 「えぇ~わたし一人で店番、ちょっと心細いけど早めに帰ってきてね。」

 佳代は、雑貨のお客様だと応対ができるのだが、化粧品の客にはまだ勉強不足で不安がいっぱいなのだった。化粧品メーカーの勉強会にまだ一度しか参加した事がなくてお客様の要望を聞いてもよく分からないこともあるのだった。

 夏美ちゃんは、その勉強会にいつも参加していて、支店でも秋ちゃんがいなくても、一人で留守番して化粧品を販売できるので佳代は、羨ましかった。

 その日は、思った通り夏美ちゃんはお昼を過ぎても帰らなかった。佳代は、化粧品のお客様が来たらどうしようと不安でいっぱいだった。でも、一応お話を聞いて夏美ちゃんが戻る午後から来てくださいとお願いしようと決めていた。

 一人の客が化粧品を選んで欲しいと来たが、いつもの常連さんみたいな話しぶりだったので改めてまた来てくださいとお願いしたら何の問題もなく了承してくれた。

 奥さんたちが帰ってくる少し前に夏美ちゃんが帰ってきた。本当に要領がいいなと佳代は、関心した。夏美ちゃんは、留守の間は、何も問題はなかったと奥さんに報告した後、店番に立っていた。

 私は、奥さんに言われて夕飯の買い出しにメモを持って出かけて行った。

 夕飯の後、新入りの私がお茶碗を洗って台所の後片付けを終わらせてから二階に上がると夏美ちゃんが今日買ってきた服を見せてくれた。やっぱりミニスカートだった。少しふっくらさんだが夏美ちゃんは、ミニスカートが良く似合っていた。

 夏美ちゃんと暮らすようになって一度も佳代は、頭の中がザワザワしない。楽に暮らせていた。

 

 

  


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