大阪暮らし12 愛が消えた日

 「米倉社長、私はまだまだお役にたてる存在ではありません。メイクアップアーティストとして、できない事がたくさんあります。お金を貯めて美容学校に通うと決めたのですが、自分で生活するのはお金がかかります。今の職場はアパートの家賃も払ってくれているのです。」

 「後、二年の猶予を下さい。それに、今は店を辞める訳にはいかないのです。最近、二人が辞めてしまって人手が足らない時に私まで辞めることはできません。二年の間に夜に近所の美容院で技術を身につけます。そして、美容学校の通信課程で資格をとります。」

 佳代は電話で自分が思っている事を全て話すと、米倉社長は快く了承してくれた。

 「期待してまっています。頑張ってください。」

 現在の天王寺店は、二名欠けた人材がなかなか埋まらず新しく従業員が入ってくるまでの繋ぎで、他店から臨時で応援に来てもらっている状況だった。 佳代は、思いつくイベントや会社から提供されるイベントで全力で働いた。

 化粧品店の仕事が六時に終わると、歩いて二分の同じビルの中の美容室で二時間毎日、タオルを洗ったり掃除をしたりと雑用をこなしながらの勉強だったが佳代は弱音を吐かなかった。カットはまだまだ先だが毛染めやカラーは店でも売っていたので理解するのは早かった。

 シャンプーの仕方やブロウの仕方、カラーの巻き方等など教えてもらっている。雑用をして働く代わりに店が閉まる八時まで薄給だが、丁寧に教えてくれた。最近は、美容師の資格を取るため通信課程を受けている。

 通信課程は三年間勉強するが、いずれは国家試験も受けるつもりだ。少しずつ米倉の事務所で働く準備が進んでいた。

 オサムには、昨年暮れに会ったきりだった。福岡まで佳代が会いに行った。今回は間が空いている。最近は手紙ではなくお互いにアパートの電話で話していた。オサムが大阪出張も暫く無いと言うので六月ごろ、佳代は福岡へ行く予定にしている。

 大阪は梅雨に入った。

 一日中ジメジメと雨が降ったり止んだりと、気分的にうっとおしいが近くの公園の紫陽花がとてもきれいで忙しい佳代を癒してくれる。

 佳代は、今日の福岡行をオサムに話していなかった。

 いつも数カ月に一度、店の定休日である水曜日に出かけていたが今回、主任の気遣いで日曜日を有給として佳代に与えてくれたのだ。突然出向いてオサムを驚かせるのも楽しい。

  新大阪から、朝九時発の博多行の新幹線に乗り昼過ぎに着いた。
空港線 各停 姪浜行 で天神に着いて軽く昼ご飯を食べて、市内のオサムのアパートをめざした。今まで何度も通った道なので迷う事はない。

 日曜日なのでオサムは居るはず、連絡をしていないので少し不安はあったが出かけて留守であれば待っていようと簡単に考えていた。

 レンガ造りのしゃれたアパートに到着した。六月の中旬、日曜日の午後半年ぶりの福岡だ。早く顔を見たい!と期待で胸がいっぱいの佳代だった。

 佳代はオサムの部屋の前で深呼吸してからノックをした。オサムは驚いて喜んでくれるかな。ドキドキして出てくるまでの数分が長く感じた。

 「はい。どちらさまですか?」

 オサムの声は、くぐもった声だった。休みの日なので昼まで寝ていたのかな。

 「佳代です。大阪から会いに来ちゃった。」

 一瞬、間が空いてオサムの声が聞き取れない。

 「びっくりするなぁ。突然だね。」「あっ、今、会社の同僚が来ているんだ。」

 オサムは、ドアを開けたが佳代を中に入れるのをほんの一瞬だが、なんだか躊躇しているように見えた。一番辛かったのは、オサムには感じた事が無かった、佳代の頭の中のざわざわが湧き上がっている。佳代は、不安だったのだ。

 「あっ、そうなの?お客様だったの?ごめん!突然きてしまって、どうしようかな。」

 佳代は狼狽えた。想定外の出来事だったのだ。そうだよね、お互い離れて暮らしているんだから電話で話すくらいで日常の事なんて分からないんだよね。あぁ~遠距離恋愛は辛い、なんて心の中で独りごとを言っていた。

 「どうぞ、中に入ってよ。佳代ちゃんにも紹介するから。」

 オサムはドアを開いて佳代を部屋の中に入るようにすすめた。

 部屋に入ると見慣れた部屋が、今日は違って見えた。半年の間に少し微妙に変わっていたのだ。リビングの応接セットも模様替えしていたし、飾り箪笥の上も違う。それにお花も飾っている。

 ソファーに座ると、オサムの同僚だという女性と目が合った。

 「こんにちは。大阪から大変でしたね。疲れたでしょう。」

 優しそうな、その女性はオサムよりもずっと年上に見えた。

 「いいえ、新幹線は好きですから退屈ではありませんでした。」

 佳代は、自分でも何を言っているのか分からないほど頭が真っ白になっていた。いつもなら自分が台所に立ってお茶を入れたり料理を作ったりしていた。

 その同じ部屋とは思えないほどの空気感で、自分はここに居てはいけない存在なのだと感じた。

 「佳代ちゃん、紹介するよ。この人は、同じ会社の事務をされている人で今日は僕が会社に忘れていた書類を届けてくれたんだ!」

 オサムは、佳代の目を少し見てお茶を入れると言って、慌てて台所へ立った。

 佳代は自分の浅はかさを恥じた。それでも救われるのは、その女性が優しそうな目をしていた事だ。穏やかなオサムにはお似合いだと思う。

 自分はオサムを頼ってばかりだった。遠距離とはいえ、何もしてあげれない。自分の事でいっぱいいっぱいな状態なのだ。仕方がないのかなと思うと嫉妬心も不思議と湧いてこなかったのは何故だろう。

 「あっ!オサムさん、お茶は大丈夫です。私、今日は主任の用事で福岡にきたのでちょっと寄っただけなんです。これで失礼します。お邪魔しました。」

 佳代は、立ち上がり台所でお茶の準備をしているオサムに声をかけ玄関へ出て、靴を履き始めたらオサムが駆け寄ってきた。

 「えぇ!どうして?ゆっくりしていけばいいのに。何も気にしなくていい人だから。」

 「ありがとう。でも突然来てしまってごめんなさい。オサムさんにも予定があったのに邪魔してしまったみたいで、また電話しますね。」

 佳代はオサムに会いたくて福岡まで来てしまったが、今回は先輩の用事だと心にもない嘘をついた。それだけ言うのが精一杯の佳代だった。

一番辛かったのは、オサムの気持ちが透けて見えたこと。優しいオサムの辛そうな言葉が佳代の頭の中に入り込んでくる。

「ごめんね。佳代ちゃんごめんね。僕は弱い男だよ。寂しかったんだ、ごめんね。」

 それから、どう帰ったのかあまり覚えていない。

 気が付けば新幹線乗り場の博多駅の構内の人混みの中にいた。どうしよう、大阪に帰らなくちゃいけないんだ。自分の生活はオサムの住む福岡じゃない。大阪なのだからと自分に言い聞かせた。

 切符を買い、新大阪行の新幹線を待つホームのベンチに座ると堪えていた涙が一気に溢れてきた。寂しかったと同時にオサムとの思い出が頭の中をぐるぐると駆け巡った。松屋町でオサムと出会った時の事。中之島の図書館での事。

 二十歳を過ぎた頃のクリスマスパーティーの事。何度もこの福岡に通って幸せだった時の事。オサムの出張で大阪で時間を惜しんで会った事。楽しかった思い出が次々と現れては消えていくのだった。この腕時計もオサムが買ってくれた、時計を見てもオサムを思い出す。

 佳代は、新幹線の列車の中で背中をあずけ目を閉じた。オサムが悪いのではない、仕方がないのだ。人は寂しい生き物、長い間離れていれば、寂しいにきまっている。毎日の生活の中で温もりや触れ合いを探しているのだ。

 あの優しそうな女性の目はオサムを幸せにしてくれるだろう。きっとオサムは大丈夫、でも私はどうだろう?私の気持ちは?大丈夫なのか?自分に問う。

 大阪の天王寺の佳代のアパートに戻ったのは、夜八時を過ぎていた。部屋に入ると同時、その場に座り込み銭湯へ行く気力も元気も残っていなかった。明日は、早朝から売り出しの準備をしなくてはいけない。気持ちを切り替えなくちゃと自分に言い聞かしていた。

 

 

 


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大阪暮らし11 引き抜き

 佳代が天王寺の化粧品店に勤めだして三年目、佳代は23歳になっていた。

 入社した次の年に化粧品会社の招待で社員旅行があり、他店の人との関わりも主任のおかげでスムーズにいけた。定期的にある交流会も佳代にとって勉強になるイベントだった。

 一番の出来事と言えば社員旅行の時に、親友である同い年の美穂に恋人ができた事だ。恋人はお店に出入りしている化粧品メーカーのセールスの男性。美穂の片思いがついに実って幸せそうである。旅行がきっかけで恋人同士になったようだ。

 セールスの男性は白井と言って佳代が入社した当時から佳代に気があったようで佳代をよく誘っていた経緯があり、その事で佳代と美穂は一時的に中互いした時期がある。店で、あからさまに佳代が断るので白井は諦めたようだ。

  そんな美穂と最近は良く話し込む。

 「佳代ちゃん、遠距離恋愛って辛いね。次、オサムさんに、いつ会いに行くの?」

 昼休みの食堂でサンドイッチを食べながら美穂に聞かれた。今日のお昼は、朝から佳代が準備して美穂の分も作ってきたのだ。松屋町で住み込みで働いていた時よりも料理の腕は上がっていた。図書館で料理本を何冊も読んで勉強した。今は、何でも作れる自信がある。

 佳代は、三カ月に一度九州福岡まで新幹線でオサムに会いに行っていた。オサムも時々、大阪出張の時があるのだが佳代と、なかなか曜日が合わないのだ。

 オサムが日帰り出張で大阪に戻ってきた時は、佳代の仕事終わりに急いで新大阪まで会いに行く忙しないデートだったりするが、それでも佳代は嬉しかった。

 店では、佳代のお客様も増えて売り上げも先輩たちに負けないほどになっていた。メイクや美顔の技術も腕を上げて周りが驚くほど成長していた。最近では、メイクを頼まれる客に、他のメンバーは佳代にバトンタッチするほど認められていた。

 お給料も三年目に入ってグッと上がった。売り上げ成績が良いのでボーナス的な収入も他より多めにもらえるようになっていた。その分、貯金もできているがオサムに会いに行く旅費が一番堪える。佳代の食費よりも加算でいた。そんな佳代にオサムは時々だが旅費を送ってくれる事がある。

 二人の仲は、順調だった。

 美穂は最近、白井との結婚の話をよく佳代にしていた。具体的な話を聞く度に、美穂が結婚までうまくいきますようにと佳代も応援している。
佳代は、美穂の結婚がうまくいくといいなと心底思っていた。

 「今度、わたしオサムさんに会いに行くのは年末になるのかなぁ。福岡は遠いよねぇ。美穂ちゃんこそ、結婚決まったら絶対に教えてよ。白井さんは、ああ見えて優しいからねぇ。美穂ちゃんペースで進んでいくかもしれないよ。がんばってね。」

 佳代には結婚よりも夢があるのだ、メイクアップアーティストになって自分のお店が欲しい。一流の人達との関わりを持ちたいと大きな夢を持っていた。

 オサムと、もちろんずっと一緒に居たいと思う気持ちはあるが、両方を叶えるのは現実的に無理がある。最近、客観的に今の自分を考えて眠れない時がある。今はこのままでお金を貯めて余裕ができるといずれは、美容学校に通いたい。

 卒業したら仕事のチャンスを見つけて一生懸命働いていつかは店を持ちたい、漠然とだが思い描いている。

 口には出さないが心の奥で少しずつハッキリと見えてきた。佳代の夢の話はオサムに言っていないのだ。オサムの口から結婚の言葉が出る前に話さなければいけないといつも思っていた。

 日曜日の午後、佳代の最初のお客さまである、芸能界で働いているという三輪明美がやってきた。高額の化粧品を全種類揃えてくれた大得意さまだった。三輪は、大体、月一で通ってくる。今日は、年配の女性の連れがあった。

 「佳代ちゃん、今日は紹介したい人がいるのよ。この人は芸能界の裏方の仕事を請け負っている事務所の社長だよ。メイクやヘアスタイル、そして、ファッションの専門家、毎回、佳代ちゃんにメイクをしてもらって局に行くと、いつもメイク褒められて、以前から一度佳代ちゃんに会ってみたいと言われたから。」

 「メイクアップアーティストになりたい人がいると言ったらね、ぜひ会いたいって言われてたの。人手不足らしいよ。」

 三輪は、店の皆に聞こえるほどの活舌の良い高い声でカウンターの中にいる佳代に言った。一瞬、びっくりして言葉がでなかったが一呼吸してその女性の方を見て頭を下げて挨拶をした。話の成り行き上、今からその年配の女性の顔に美顔術をした後メイクもすることになってしまった。

 店の奥の美顔室に年配の女性だけを案内して佳代のマッサージの施術が始まった。メイクを落として、マッサージをしてお化粧をする。その年配の女性は佳代を試しているのだと思った。

 「あの女性は、佳代ちゃんを引き抜きに来た人?」

 美緒は、気になって三輪に聞いた。三輪は、自分は頼まれたから一緒に連れてきただけ、詳しい事は聞いていないと、マニュキアの新しい新色はどれなのかと美緒に聞いて、そのマニキュアを塗り始めている。

 その日の夕方、レジを閉めてから佳代は主任に呼ばれた。

 「佳代ちゃん、今日のお客様は佳代ちゃんに自分の事務所で働いて欲しいらしいよ。化粧品を買ってくれた後、そっと私に話してくれたけど、佳代ちゃんの気持ちを聞かせてくれる?どう考えているの?」

 主任には感謝している。佳代がメイクの勉強をしたいと言った時メーカーのセールスに講習会上級のメイク専門コースを受けさせてもらえるように頼んでくれたのだった。学校へ行かずとも無料で勉強ができるありがたいシステムがあったのを教えてくれたのが主任だった。

 せめて五年はこの店で頑張りたいと思っていた。しかし、今日の三輪が連れてきた事務所の社長が佳代に言った言葉を思い出す。

 「あなたは、メイクアップアーティストになれるセンスも技術も十分にある、顔も美人だからテレビ局へ連れて行っても十分に通用する。ヘアメイクは内の事務所へきてくれたら学校へ行かなくても基礎から十分教えられる人材も大勢いるわ。返事は急がないから考えてみて欲しい。」

 と、ハッキリと言われ、米倉洋子と書いてある名刺をもらったのだった。主任に対して申し訳ないと思う反面、米倉さんの事務所へ行ってみたいという憧れの気持ちが抑えられなく揺れていた。

 「主任、私は将来はメークアップアーティストになりたい夢があります。しかし、主任には感謝しています。勉強をさせてもらえる機会を作ってくれて実際に経験になるようにと優先的に私にお客様のメイクを任せてもらえてとても勉強になっています。それから、後、後二年はこの店で働かせてもらうつもりです。」

 佳代は思わず言ってしまった言葉は、後二年だった。主任の顔を見ていると悪くて申し訳ない気持ちが抑えられなかった。いつも佳代を助けてくれている主任を、自分の事ばかり考えてはいけないと思い、裏切れなかった。

 現在、店はけして順調だとは言えない。一人、経験豊富な先輩が抜けたら売り上げがグッと落ちた。秋に、また一人先輩が退職すると美緒に聞いたばかりだったのだ。

 明日、米倉さんに電話をしよう。後二年待って下さいとお願いしよう。二年の間にもっと勉強してどこでも通用する技術を磨こうと心に決めた。そして、美容学校へ行かずとも夜、仕事が終わって近所の美容院で下働きしながら教えてもらおうと思った。佳代は心当たりがあったのだ。

 近所にある、その美容院のオーナーが時々店にやってくる。自分の店にも化粧品を置いているのだが若い時から使っている化粧品は変えられないのだと、よく佳代や店の女の子を話し相手にお菓子を持ってきて時間をつぶしていくのだ。二年前から佳代もこの美容室でカットをしてもらっていた。年配の気さくな優しい女性だった。


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大阪暮らし10 初体験

「佳代ちゃん!待った?」

 オサムが九州に勤務先が決まってから一年が過ぎ、初めての大阪への出張だと連絡をくれたのは、五月の中旬だった。佳代の定休日の水曜日にオサムは合わせてくれた。

 待ち合わせの場所はいつもの中の島の図書館前。オサムは以前に増して男らしくなり端正な顔立ちが眩しい。

 「オサムさん、私も今来た所です。お元気そうで、良かった! 今日は誘ってくれてありがとう!この、中の島の公園も今、薔薇が満開で一人で先週もきたところだったのよ。いつも手紙でしか話せないから今日は会えて嬉しい!」

 佳代はちょっと緊張していた。オサムと会ったのは一昨年のクリスマス以来だったので顔を見ると恥ずかしくて、つい伏し目がちになっていた。手紙は月に一度、お互いに近況報告など。遠距離恋愛の寂しさを佳代は手紙にいつも書いていた。

 「薔薇が綺麗だね、少し公園を散歩しよう! それから、僕の知っているお店でお昼を食べて買い物に付き合ってくれる?」

 オサムは、以前と変わらず佳代に優しく接してくれている。二人は公園の薔薇を見ながら歩いた。佳代は、昨年の社員旅行の話やお店の話、佳代のお客さんになってくれた女性の話など尽きない。

 「佳代ちゃんは相変わらず頑張っているんだね。僕も慣れない土地で目の前の事だけをがむしゃらに頑張ったよ。今は、会社の人達や住んでいる場所にも慣れて落ち着いてきた所だ。」

 「以前、佳代ちゃんがお休みの日に僕の所に着たいと話していた時は、ハッキリ返事ができずにごめんね。今なら、気持ち的に余裕もできたからいつでもどうぞ!」

 オサムは少し照れながら、ふざけたように笑いながらいつでも九州に会いに来て!と佳代を誘った。

  「今日は、一日佳代ちゃんとゆっくりできるんだ。今夜はホテルを取ってあるから、明日の木曜日の夕方、福岡に戻れば次の日、会社には間に合うからね。」

 お昼は、梅田にある最近はやりのイタリアン料理に連れて行ってくれた。どれも佳代の知らない料理ばかりだったが美味しくて楽しくてあっという間に時間は過ぎた。

 二人、ゆっくりコーヒーを飲んだ後、梅田のデパートで買い物があるとオサムが言うので佳代は従った。四階の鞄売り場で、オサムの通勤に使えるようなビジネスバッグを選んだ。普段も使えるように少しカジュアルな若者らしい三通りに使える本革のバッグが気に入った。

 「佳代ちゃんにもバッグをプレゼントしようと思っているんだ!女性用のバッグは、すぐそこだから一緒に選ぼうよ!」

 「えぇ~!私はいいよぉ。あまり出かける事、ないしね。」

 「そうなの? じゃアクセサリーにする? そうだ、時計がいいね! 何かプレゼントするって決めてきたから。お金の事は、心配いらないよ会社からボーナスが思った以上にあったからね!」

 そう言ってオサムが佳代の肩に手をまわして、時計売り場やアクセサリー売り場に誘った。

 「ほら、佳代ちゃん。この時計、小さくて綺麗で可愛いでしょ!これは、どう?」

 何点かカウンターの上に出してもらってオサムが選んでくれた時計に佳代は頷いた。

 「本当に良いの? ありがとう。嬉しい!」

 オサムが好きで好きで恋しくて会えない日々を思い出すと、その日の佳代は最高に幸せだった。 毎日、アパートと化粧品店の往復だけ、楽しみなんて細やかなものだった。今の佳代は尚更、オサムからのプレゼントも優しさも嬉しかった。

 こんなに楽しい時間、次はいつ訪れるのだろう?そんな事を考えてオサムと並んで歩く御堂筋の五月の街並みは街路樹が鮮やかに光を反射してキラキラ綺麗な二人の世界だった。

 「疲れた?この近くのシティーホテルを取っているんだよ、休憩していく?」

  オサムが佳代に聞いた。佳代も少し歩き疲れたので頭を一度下げて頷いた。二人は今夜、オサムが宿泊する予定のホテルの一室に入った。

 「そんなに緊張しなくて大丈夫だよ。ほら、僕の荷物もそこに広げてあるだろう。今から、さっき買った、このバッグに詰め替えようと思うんだ。佳代ちゃん、手伝ってくれる?」

 オサムは、笑いながら冷蔵庫の中のオレンジジュースをガラスコップに入れてくれて、一人用応接セットのテーブルの上に置いた。

 「はい、私手伝います。何をすればいいのかな? 新しいバッグに全部入れ替えましょうか?着替えもしわにならないように畳み直さないとね。」

 佳代は、荷物の入ったスポーツバッグの中身を新しいバッグに入れ替えようと膝をついて洋服を畳んでいると、後ろからオサムに抱すくめられた。佳代は、この部屋に入った時から心臓が飛び出そうになるほどドキドキして緊張していたのだ。

 「佳代ちゃん、大好きだよ!好きでたまらないよ!」

 オサムの声はかすれていた。佳代は心の中で覚悟していた事だ。これからどうなるのか、何も分からないがオサムに任せていよう。お店で美緒ちゃんや主任さんが腑避けて男の人の体の話をする度に佳代は未知の世界だった。それが現実になった、佳代の大好きなオサムとの情事が始まるのだ。

 オサムは佳代を優しくベッドに運んでキスをしてくれた。男前なオサムは大学生活の頃モテていたと、クリスマスパーティーの時、オサムの友達が言っていたことがある。それに、アルバイトにバーテンをしていたのだ、女性の扱い方は慣れていたようだ。佳代は二十一歳になってもまだ処女だった。オサムはそんな佳代が好ましく大切にしていた。

 気が付かないまま、佳代は着ていたカーディガンやスカートを脱がされて下着姿だった。恥ずかしくて佳代は目を閉じていた。佳代の体は透けるように白く、胸の膨らみにある先は薄いピンクの蕾のようだった。オサムは壊れ物を扱う様に大切に唇で優しく佳代の体に触れた。そして、佳代と繋がった。

 「大丈夫?佳代ちゃん、大丈夫?」

 オサムは、佳代を優しく気遣いながら何度も何度も体が波打つように動き、声をかけて果てた。佳代はその痛みを耐えた後の幸せは、口では言い表せないほどの幸せな体験になった。大好きなオサムと体も心も繋がっていると思うと嬉しかった。

 その日の夕方、佳代を送ってきた天王寺駅側のラーメン屋で二人は食べ、佳代のアパートまで送ってくれたオサムと別れを惜しんだ。

 「いろいろありがとう。このプレゼントの時計、大切に使います。明日は、気を付けて福岡に戻ってくださいね。また、手紙書きます。お仕事、頑張ってね。」

 佳代は、そう言いながら涙を浮かべていた。そんな佳代を見てオサムは辺りをきょろきょろと見渡した後、佳代のおでこにキスをして、手を振って帰って行った。

 佳代は、自分の部屋に戻り椅子に腰を掛けて、今日一日の出来事を目を閉じて考えていたその時、ドアをノックする音が聞こえてきた。

 「佳代ちゃん!居る?美緒です!今日、買い物に難波まで出たからお土産にケーキ買ってきたよ、一緒に食べない?」

 「え~!ありがとう。どうぞ中に入って、今、紅茶を入れるね。コーヒーが良い?どっちも最近買ってきたから新しくて風味が良いよ。」

 「そう?じゃ、紅茶にしようかな!」

 そう言いながら、美緒は部屋に入りテーブルにケーキの箱を置いた。

 佳代は、湯を沸かそうと、ガスにやかんをかけてから、小さなお皿を二つ出してケーキを並べた。

 「うわぁ~美味しそうなケーキだね!高かったんじゃないの?ありがとうね!嬉しい!」

 オサムとの余韻がまだ体に残っていたが、美緒の心使いが嬉しくて明るく笑顔で接していた。そのうち、美緒にも聞いてもらいたいと思う。今は美緒との関係は、佳代の親友と言える間柄だった。

 やかんのお湯が沸騰するのを見つめながら佳代は幸福感でいっぱいだった。カップに茶こしを置いて、紅茶の缶を開け風味を楽しみ、ティースプーンに二杯の茶葉を入れ熱湯を注ぐ。すると、ダージリンの香りが部屋中に行き渡り、美緒と佳代は、顔を見合い嬉しそうに笑顔が溢れていた。

 「佳代ちゃん、美味しいでしょう。このケーキ、前にも買って食べたんだよ。美味しくて、今度佳代ちゃんと一緒に食べようと思って買ったきたの!紅茶も良い香りで美味しいね。」

 「美緒ちゃん、ありがとう!美味しいよ。ん~しあわせだね!」

 美緒と一緒にケーキを食べ、お茶を飲み少しだけおしゃべりをした後、美緒は自分の部屋に戻って行った。

 佳代は、今日一日が佳代にとってどんなに幸せで楽しい一日だったのかと思うと興奮して今晩は眠れないかもしれないと思った。そして、まだ大阪にいるオサムの事を考えて胸がキューンと締め付けられるほど苦しかった。

 これが恋というものなのかと独り言をつぶやいていた。

  明日から店は化粧品デーの売り出しだ、朝早めに行ってポップを描いて。さぁ頑張らなくちゃ。


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大阪暮らし9 小さな夢

「山下佳代さん!山下さん!本の準備ができていますよ。」

 図書館の女性職員が佳代を呼んでいる。お願いしていた本を書庫まで取りに行ってくれて、貸し出しの本が用意できたと、読書スペースの椅子に座っている佳代の方を見て呼んでいた。

 今日は、佳代の勤めている店の定休日、借りていた本を返却にきたのだ。最近、はまっている作家さんの新刊を借りたいと思い、予約していたのだった。

 オサムと会えなくなってから、この中の島の図書館へ来ても佳代は張り合いが無い。気候の良い日には外のベンチで本を読んでいると、いつの間にかオサムが佳代に気が付かない様に側に座って本を読みだし声をかけて驚かせてくれた。今は九州にいるのだ。寂しい。

 昨年のクリスマスの夜にアパートまで送ってくれた時、オサムと初めてキスをした。大きな手で佳代の肩を抱き寄せ優しくおでこにキスをした。そして、唇にキスをされた時、一瞬嫌な思い出が蘇った。

 あれは、オサムがバーテンのアルバイトをしていた店に示談に出向いた佳代は、北田という男に、突然キスをされた! 事故の様な嫌な出来事。今も蘇る、唇にこんにゃくの感触。佳代は、人生で初めてのキスがこんな気持ち悪い思い出になったのかと一週間ほど落ち込んだ嫌な記憶。

 今回のオサムとの初めてのキスで、あの嫌な唇の感触を私から払拭させてくれたオサムの素敵なキスは今も忘れられない。

 あの時のオサムの唇はどこまでも優しく柔らかく、オサムの鼻先が佳代の鼻先に触れそうになる瞬間、佳代は夢心地で全身の力が抜けていた。佳代は寂しくなるとオサムの優しさや甘い匂いを思い出す。オサムに会いたい。

 図書館の帰り、商店街の八百屋に寄ってキャベツを買った。側の肉屋で豚肉を買い、今日の夜はお好み焼きを作ろうと思った。お昼は節約して菓子パンで済ませようと牛乳と一緒に食べた。美緒ちゃんを夕食に誘おうかな、どうしようかな、佳代は迷っていた。

 お昼を食べた後、佳代は部屋で本を読みながらうとうとしていた。昨夜、あまり眠れなかったのだ。先日の事が頭から離れない。二年先輩の頼子は最初から少し苦手なタイプだったがあそこまでずけずけと言うとは思っていなかった。頼子は、自分の思った事をストレートに言葉に出す。あの時、佳代が客に頼子の事を悪く言って客を取ったと思っているのだ。

 主任の武田さんが頼子にちゃんと話しておくと言っていたが、結局店が終わって帰りロッカーでも、あからさまにツンツンして居心地が悪かった。美緒も何も言ってくれなかったのが悲しかった。それでも、生きていくためには仕事を頑張っていくしかない。せっかく艶ちゃんが紹介してくれた仕事先だ。佳代にとって条件が良すぎる程なのだから。

 佳代は、毎月のお給料から節約して少しずつ貯金もできるようになった。今までの松屋町の住み込みで働いていた時よりも数倍貯金が増えている。自分の自由な時間も今はある。後、数年頑張れば纏まったお金ができるだろう。そうなると、住むところを探してアルバイトをしながらでも、いつか美容学校に行けるようになる。何時か将来はメイクアップアーティストになるんだ。と、夢を持っていた。

 「化粧品を揃えて欲しいのよ!基礎化粧品からメイクアップの化粧品までね。化粧品の値段は気にしないで。貴方が良いと思うのをこのカウンターに並べてほしいの!実は、今使っているの全部嫌になってしまったからね!」

 午後のお昼休憩が終わって店のカウンターに入ったところだった佳代の前にスラっとした背の高い化粧の濃い若い女性が立った。目元の化粧が濃かったが可愛い目で美形な顔立ちだった。この女性は、お化粧の仕方一つで女優の様に美しく出来る自信があると佳代は心の中で思っていた。

 化粧品を一式、それも値段を気にしなくて良いのだ。高額の購入客になる。佳代はこの客が自分の客になったらと、少し期待した。

 「ありがとうございます。今、揃えますね。まず、基礎化粧品はこちらでどうでしょう?このメーカーで、最上級の基礎化粧品です。最初に、柔軟化粧水でお肌を柔らかくして、この後使う乳液を浸透させやすくなっています。しっとりと滑らかにお肌にとても良い成分で香りもとても良い香りで。その後、収れん化粧水でお肌を引き締めます。夜お休みになる前には、この後でナイトクリームを付けてお休みくださいね。」

 「お肌のお手入れをする場合は、このクレンジングクリームでお化粧を落として、柔軟化粧水でキレイに拭き取りマッサージクリームでマッサージをします。マッサージが終わるともう一度柔軟化粧水で拭いて、乳液、収れん化粧水、ナイトクリームの順番です。」

 「宜しかったら、今からお肌のお手入れをさせてもらいますよ。お客様にお時間がありましたらですが。」

 と、佳代は一通りの化粧品を並べてクリームの蓋を取って香りを客にかいでもらった。

 「そうねぇ。良い香り!うん。時間、あるよ。じゃ、マッサージやってもらおうかなぁ。メイクアップの化粧品はその後で又、貴方が選んでね!今買うこの化粧品の封を切って使ってくれたらいいから。使う順番もしっかり聞きたいしね!」

 「実は、私芸能界で働いているのよ!あなた興味ある?」

 そう言って彼女はマッサージルームに入った。佳代は、カウンターに並べていた最高級品をマッサージルームに運んで準備をしていると、彼女はおしゃべり好きなのか次々話題を変えて佳代に話しかけてくる。佳代よりも少し年上の様な気がする。佳代にとって嫌な客ではない、若い佳代と気が合うという雰囲気をかもしだしている。

 いつも、化粧品の売り上げはあまり意識しないようにしていた。大抵は一品、二品、の客が多い中、数万を超える買い物はめったにない事なのだ。佳代は心の中でテンションが上がっていた。三十分ほどマッサージルームでおしゃべりをしながら買ってもらった商品で肌の手入れを終わらせ、店に備え付けのメイクパレットやファンデーションで佳代がメイクアップをさせてもらった。

 「いやぁ~!すごい上手だねぇ!私じゃないみたい!キレイに見える!ありがとう!又次、来るからメイクの仕方教えてよ!すごいわぁ。」

 若い客はとても驚いて佳代に感謝してくれた。佳代は嬉しかった。ゆっくりメイクアップをさせてもらって少しだけ自信が付いたのだ。カウンターに戻り彼女の希望通りのメイクアップ用品全て揃えてお会計をしてくれた。客一人の単価、今月一番の売り上げの日だった。そして、美しい若い女性の三輪明美さまは、佳代の客としてあの分厚いお客様台帳に記入してくれたのだ。

 「佳代ちゃん、良かったねぇ!この店でファーストファイブに入る上客さまかも知れないよ!ご苦労様!芸能界で働いているんだってね、また友達を連れてきてくれるかもよ!」

 なんと、今まで心地無かった美緒ちゃんが佳代の入っているカウンターに近寄ってきて労ってくれた。他の人も佳代がレジをしていると、笑顔を向けてくれた。あの先輩の頼子だけは、無表情だったが佳代は気にしなかった。いつかは、分かってくれるだろう。

 「美緒ちゃん、ありがとうね!私の本気のお客様一号かも知れないよ。嬉しいよ。」

 佳代は、心からそう思ったが売り上げよりも 美緒の顔を見て、 美緒との仲が元に戻ってくれた事が嬉しかったし、感謝した。最近寂しかったので、余計そう思った。その日の帰り、ロッカールームで普段話さない先輩からおめでとうの言葉をもらった。もう一人の先輩も笑顔で佳代の顔を見てくれた。

 その日の晩に、佳代は嬉しくてオサムに手紙を書いた。前回の手紙の返事がまだ来ていないが話したくてしょうがなかった。 今日一日あった事を事細かに書いた。前回の手紙に美緒ちゃんと上手くいかない事も、一人で寂しいと泣き言を書いてしまった事も反省していた。

 六月に入り慌ただしく毎日が過ぎていった。社員旅行の当日、社長から店で説明があった。

 「えー!今回の社員旅行は静岡の温泉地です。宿泊する旅館は、テレビでよく宣伝しているあの大きな旅館らしいですよ。支店のみんなも途中合流する予定で、化粧品メーカーのセールスマンも数名参加との事です。あちらが主催者側なので詳しい事はお任せしています。皆さん怪我のないように気を付けていきましょう。」

 天王寺のお店の従業員女性八名と支店の人達と天王寺駅で合流するらしく社長は上機嫌で説明をしていた。

 


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大阪暮らし8 遠距離恋愛

 「夏美ちゃん、連絡ありがとう!嬉しかったよ。夏美ちゃん、仕事慣れてきた?夜の仕事って大変でしょう?生活が変わるもんねぇ。教えてもらった店の場所が分かりにくくて通っている人、二人に聞いてやっとこの店に辿り着いたよ。」

 「内のアパートの管理人さんは午前中、いつも留守にしてるから夏美ちゃん電話くれるなら水曜日の夕方が一番いいよ。私、水曜日休みだから大体夕方はアパートにいるから。また電話してね。」

 土曜日の夜、仕事が終わって佳代は夏美の働く心斎橋のクラブに遊びに来た。佳代は一月に二十歳になったので、お酒が飲めるのだ。夏美に教えてもらったお店は、心斎橋から宗右衛門町に入った場所にある小さなクラブだった。

 松屋町で夏美と佳代、二人暮らしだった頃。昼間、化粧品店の仕事が終わると夏美がよく通って、遊びにきていたお店だと言っていた。

 店に入ると、知らない世界の雰囲気が佳代を緊張させた。薄暗い店内には、キラキラしたシャンデリアの薄いピンクの灯りに天井からぐるぐると回る照明。そんな空間の中、アンティーク調のテーブルが五個並び、大きな観葉植物の奥にもテーブルが五個並んでいた。

 奥のテーブルまで縦に長いカウンターがずっと奥まで続いていて、若い男性のバーテンさんが三名入っているようだ。バーテンさんの前にはキレイな女性が座って楽しそうに、おしゃべりしながら、綺麗な色のお酒を飲んでいた。佳代が店に入った時間が七時過ぎだったので店は混んでいなかった。テーブルの客の横には女性のホステスさんが両脇に座っていた。

 「あっ!佳代ちゃん来てくれたんやねぇ。ありがとう。もう、二十歳になったと思ったから誘ってみたんよ。早速来てくれて嬉しいよ。ありがとう。」

 夏美は、佳代が来るのを待っていたようで店に入ると店の奥の方からやってきて佳代のそばまできてくれた。きょろきょろと落ち着きのない佳代の様子に余裕で笑いながら奥の方へと、案内してくれたので佳代は安心した。

 夏美がバーテンさんの顔を見て暗黙の了解なのか一番奥のテーブルに座るように言われて佳代と夏美は二人向かい合って座った。

 「佳代ちゃん!新しいお店少しは慣れてきた?講習会上級まで進んだんやろう?もうメイクやマッサージもお客様にしているんやろう?たくさんの店員さんが居てたら気い使って疲れるやろうなぁ?まぁ、佳代ちゃんはいつも明るいから落ち込む事もないやろうから、心配はしてへんけどな。」

 「そうや、何か飲む?無理にお酒を注文せんでもジュースでもええねんで!今日は私が招待してんからマスターにも言うてる。でも、二十歳になった記念に一度お酒飲んでみるか?甘いカクテル作ってもらったろうか? 桃のカクテル甘くて美味しいよ、お酒やけど口当たりがええから経験の為佳代ちゃん一度飲んでみいぃ!」

 夏美は、佳代が来てくれて嬉しそうだった。そして、夏美の友達である佳代を店に招待させる経営者のマスターも優しい人で夏美の職場の環境も良い感じで恵まれていると佳代は安心した。夏美の言葉に佳代は甘えてカクテルを頼んだ。

 「うわぁ~キレイなお酒!ピンク色!グラスも小さくて可愛いねぇ。」

 佳代は目の前の、初めてのお酒で興奮していた。少し飲んでみると甘くて後口が桃の香りで美味しかった。店の雰囲気と言いお酒といい佳代は大人になった気分で気持ちが、胸の奥がほんわりした。

 「あぁ~佳代ちゃんお酒、飲めるやん!美味しいやろう?でも一杯だけにしときやぁ。帰り一人で帰らなあかんねやからね。会計は今日は私のおごりやから!」

 夏美が心配して言った。暫く二人は近況を報告しあって満足した頃、店に少しずつお客が入って賑やかになってきたので佳代は店を出た。今日は仕事が六時に終わるとすぐにアパートに帰って着替えて心斎橋にやってきたのだ、佳代はお腹が空いていた。さっき飲んだ一杯のお酒が頭の芯を緩くしていた。

 アパートに帰る途中、天王寺のいつもの総菜屋で店じまい前の店先に盛ったコロッケを買って帰り、昨日買ってあった食パンにコロッケを挟んで夕食にした。明日は、日曜日で忙しい日、化粧品のイベントの日なのだ。朝から佳代は一番先に出勤して、店の表に貼るイベントのポップを描かなければいけないので、明日の準備をして銭湯にでかけた。

 「あっ!佳代ちゃん。今、お風呂?私はもう上がって帰ろうかと思ってたよ。明日、佳代ちゃんは早出だね、ポップ描くの上手だからいつの間にか佳代ちゃんの仕事になってしまったね。今日は出かけてたんでしょ。疲れてるだろうから早く寝てよ。じゃ、また、明日店でね!」

 仲良しの美緒と銭湯で偶然会った。最近、店で美緒は以前の様に昼休みにも帰りにも、佳代にくっ付いてこなくなっていた。原因は分かっている。店に出入りする大手化粧品セールスマンが原因なのだ。そのセールスマンが美緒のお気に入りなのに最近、佳代によく声をかけてくる、佳代はまったくその気は無い。

 美緒は、佳代に好きな人がいる事もクリスマスパーティーや誕生日のプレゼントをもらった事も知っていたのだが、心は複雑なのだろうと思い佳代は、その事には触れない様にしている。

 「佳代ちゃんお元気ですか?僕の勤務先が決まったよ。本社のある大阪かと思っていたら、福岡支店になった!数年したら本社に戻れるらしいけどね。あぁ~佳代ちゃんと前の様に会えなくなると思うと辛いよ。大阪と九州福岡だと遠いよねぇ。会いたいよ!仕事、忙しくしてる?」

 「僕の会社は建設会社だから学校やマンションや道路やトンネルを作ったり色々だけど僕は福岡支店で公共の工事に携わる仕事でね、思っていたのとちょっと違ったけどまぁ、これも勉強だからね、がんばるよ。また、手紙を書くね。 石田理より。」

 四月の中旬に福岡勤務になったオサムから手紙が届いた。三月までは月に一度ほど、天王寺のお店にも男性化粧品を買いにきてくれていた。いつも店が終わる間際に来て佳代の仕事が終わるのを待ってくれて近所の喫茶店でコーヒーを飲み、お互い最近読んだ本が面白かったと言い合い、おしゃべりを楽しんだ。オサムはいつも優しく佳代を見守ってくれていた。

 「オサムさん、お手紙ありがとうございます。九州福岡ですか?もう、そちらに住まれているんですよね。大阪にはいないのですよね?寂しいです。会いたいです。今は、仕事も少しは慣れてきたのですが人間関係で疲れています。」

 「仲良しだった美緒ちゃんが離れてしまいました。美緒ちゃんが好きな人が店によく出入りする人で時々私に話しかけてきます。私はどおってことないのですが、美緒ちゃんにとって嫌な事なのですよね。仕事上その人と話さない訳にはいかないし、美緒ちゃんは、私がオサムさんを、好きな事知っていると思うのに…。」

 「ごめんなさい。なんか、変な手紙になりました。そのうち美緒ちゃんも分かってくれると思いますよね。美緒ちゃんとその人が上手く行くように願っています。」

 「私のお店で、六月に社員旅行があります。静岡の温泉地らしいです。楽しみです。その前に一度、そちらに遊びに出かけても良いですか?でも、無理ですよね私のお休みは水曜日。オサムさんのお休みは日曜日でしょう。ごめんなさい、忘れて下さい。無理な事を言ってしまいました。 また、手紙書きますね。 佳代より。」

 五月に入り、近所の公園や商店街への街路樹、街並みが新緑の美しい佳代の好きな季節となっていた。朝から清々しくお店に入り忙しく働いていた佳代に、思いがけず二年先輩の頼子さんからクレームがきた。

 数日前、頼子さんが用事で代休を取っていた時に佳代が接客したお客様が頼子さんのお客だったと言われた。今日、その客から佳代に指名がきたのだった。

 「佳代ちゃん!安田さんが佳代ちゃんにマッサージをお願いしたいと言っているの!私がお休みの日に接客したの佳代ちゃんよね!安田さんに何か言った?私の客を取らないでよ!」

 佳代の側に来て、カウンター越しに小声で言うが頼子はすごい剣幕だった。安田さんは、すでにマッサージルームに入っているらしくマッサージを始めようとすると佳代にやって欲しいと言い出したそうだ。

 「頼子さん。私は何も言っていませんよ。あの日、皆さん手が空いていなくて主任の武田さんが佳代ちゃんがやってくれたら良いから、後日私の方から頼子ちゃんに言っとく!って急かされた事は覚えていますが。化粧品もその日は買ってもらっていませんし…。」

 佳代が困っていると、近くにいた主任がきて頼子さんに事情を話してくれた。頼子さんも分かってくれたのかと思っていた。

「お客様の安田さんを待たせているのは良くないから、ご要望通り佳代ちゃん!マッサージをするように。」

 と、主任に言われて佳代は頼子さんの顔を見れず、マッサージルームに入った。その日の仕事は帰りまで気まずく憂鬱だった。以前なら美緒ちゃんが飛んできて佳代をフォローしてくれたのにと思うと寂しかった。いつになったら美緒ちゃんは分かってくれるのだろう。

 


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大阪暮らし7 デート

 「ごめん、ごめん。佳代ちゃん、待った? 先週の水曜日僕は来れなかったから今日は、ちょっと心配してたんだ。佳代ちゃん、きっと待っているだろうなぁって思ったけど連絡のしようがなくて。アパートの管理人さんの電話にかけたけど留守だったみたいで繋がらなくてね。」

 中之島の図書館がある建物の前に、石田理は息を切らせて走ってきた。

 「あっ、私も今来たところです。先週も図書館で探していた本が気になっていたので大丈夫です。多分、忙しいバーテンさんは、今週だろうなぁって思っていましたから。」

 「あははは。佳代ちゃん、そのバーテンさんってのはちょっとね。これからは、僕の事オサムと呼んでよ。理と書いてオサムって言うんだ。」

 「はい。オサムさん、そうします。」

 佳代は、嬉しかった。気さくに話せるオサムさんと今日は映画を観にいくのだ。二人は心斎橋の映画館まで歩いた。歩きながらオサムの話す、今日観る映画の説明を聞き逃すまいとオサムのすぐ横を並んで歩いた。

 佳代は、大阪にきて初めての映画鑑賞だった。オサムと観る映画はカトリーヌドヌーヴのシェルブールの雨傘というミュージカル映画だった。

 「私、楽しみです。映画は大阪に来て初めてなのでずっと憧れていました。今日は誘ってもらって嬉しかったです。ありがとうございます。」

 「そうかぁ。良かったよそんなに喜んでもらって。でもまだ観ていないからなっ。」

 佳代と並んで歩く笑顔のオサム。夢中で話すオサムの横顔を佳代はずっと忘れないだろうと思った。

***

 阿倍野にある佳代が勤める化粧品店は年末商戦の真っただ中だった。各メーカーのセールスマンが度々店に訪れては在庫の確認をした後、応接室では社長と話し込み化粧品を売り込んでいた。

 クリスマス前にも化粧品が良く売れていた。各従業員は、自分の客を大切にするために店の奥のカウンセリングルームに誘って、お客様の顔のマッサージや手入れを行いお勧めの化粧品を買ってもらう。

 佳代は、まだ自分の客は付いていない。やっと化粧品の説明や商品の置いてある位置など覚えたところだった。

 「佳代ちゃん、ちょっと来てくれる!? こちらは、近所の団地に住んでいらっしゃる道端様よ。ちょっと口紅を選んでさしあげて!台帳を見ながら過去の色を確認してね。」

「道端さま。この娘は佳代ちゃんです。今年の秋に店に来たばかりですがセンスはいいんですよ。どうぞ御ひいきにしてやってくださいね。」

 主任の武田さんが佳代を紹介してくれた。

 道端様は、主任の上客だった。気心も知っている道端様を佳代のお客様にしてくれようとしているのが分かり佳代は緊張したが嬉しかった。最近もまだ雑用や店先の小物ばかり売っていたのだ主任は、それを知っていて気使ってくれたのだろう。

 佳代は、カウンターの上にある重そうな台帳が道端様のページに開かれているのを見ると主任が準備してくれたのだと感謝した。台帳には、住所や氏名、好みの色や過去に買った化粧品の名前がずらっと書いてあった。

 「道端様。黒髪がとてもきれいですね。今まで、薄い色の口紅が多かったように思いますが、今回は思い切ってもっとはっきりとした赤い口紅はどうでしょう?黒髪と良くあってお顔だちが明るく見えて若々しくなりますよ。」

 道端様は黒髪を肩まで垂らして前髪を一本のヘアピンで止めてあった。佳代から見ると50代の半ばだろうと思うが個性的な人だと思った。ピンク系が好みと書いてあるがハッキリとした赤系の色がこの方には似あうと思った。佳代の手の甲に今まで使っていた薄いピンクと並べて赤系の色を塗って見てもらった。

 「そうねぇ。クリスマスも近いし、赤い色も試してみようかしら!?でもちょっと勇気がいるわね。一度唇に塗ってもらえる?」

 「はい。分かりました。どうぞこちらへ!」

 佳代は、初めて奥の部屋までお客を案内した。大きな鏡の前に座ってもらい佳代が選んだ赤い口紅を塗ってさしあげると道端様には印象的な黒髪と赤い口紅がマッチしてよくにあっていた。

 「そうねぇ。今まで赤い色は勧められても付けた事なかったけど若い貴方から見てへんじゃないのなら、これからも赤を選んでみようかな?コレ、下さる。今日は時間がないので基礎化粧品はまた今度ゆっくり時間がある時にくるから、今度は、佳代ちゃん選んでね。」

 満足した様子で道端様が笑顔で言ってくれた。佳代のお客様第一号になってくれたのだ。これも主任のおかげだと感謝した。

 「佳代ちゃん、良かったね。主任、いいとこあるよね流石主任だわ。自分の上客を佳代ちゃんに紹介してくれるなんて。他の皆とは言わないけど、なかなか譲ってくれないよ自分の客は取られたくないんだから。ぴりぴりしている感じ、嫌だね。」

 お昼休憩に入る前に同い年の美緒ちゃんが声をかけてくれた。店の従業員の先輩方は売り上げを競っているらしく美緒ちゃんの話では、其々毎日化粧品の何を売ったかメモっているそうだ。それもそのはず、賞与の時やイベントごとに金一封がでるらしい。

 佳代はまだそんな話は主任の武田さんから聞いていないがいずれあるだろうと思った。

***

 「あっ!佳代ちゃんごめんね、待った? おっ!今日は一段とおしゃれだね。可愛いよ。そのワンピース、佳代ちゃんに良く似合っているね。」

 クリスマス当日、約束の時間を少し過ぎていた。オサムが慌てて走ってきた。佳代の服装は、この日の為にお昼休憩の時間に美緒と一緒に選んだものだ。佳代が勤める化粧品店の並びの洋品店で、花柄のミニのワンピースを何度も迷って選んで買った。

 店の前を通る度に、「可愛いね、このワンピース欲しいね」と、美緒といつも話していたのだった。

 佳代の整った顔立ちとスタイルの良さが際立っていて、人目を引くほど良く似合っていた。お化粧もナチュラルだが佳代の良い所を生かすことで品の良いお化粧だと社長も褒めてくれるほどだった。

 待ち合わせの場所は、道頓堀川にかかっている戎橋の上。待ち合わせの場所にうってつけの分かりやすい場所だったが年末はいつもに増して人通りが多くごったがえしていた。

 心斎橋のパーティー会場へは少し遠いが先に食事をしてから行こうとオサムが言い出して心斎橋ミツヤで食事をすることになった。純喫茶ミツヤは洋食が評判のお店で若者から子供までが喜んで入る店だった。

 オサムと一緒だと経験した事のない事ばかりで緊張するが佳代はいつも心躍ってわくわくしていた。

 「佳代ちゃん、何にする?僕は、ナポリタンスパゲティ!にするよ。」

 オサムがメニューを広げて佳代に聞いた。佳代は、どれもこれも美味しそうで迷ってしまう。食い入るように佳代がメニューを見て、決めかねていると。

 「佳代ちゃん、オムライスも美味しいって友達から聞いた事があるよ。試しに頼んでみる?」

 「はい。そうします。」

 佳代は、オサムの言う通りオムライスにした。しばらくして運ばれてきたオムライスとスパゲティ!目の前の美味しそうなオムライスにはメニューの写真の通り、鮮やかな黄色いタマゴの上にデミグラスソースがかかっていた。

 佳代が今まで知っている赤いケチャップではないのも驚いた。

 オムライスの匂いが、佳代の食欲を旺盛にしていた。全部、残さずあっという間に食べてしまって、顔を上げるとオサムはまだスパゲティを食べている最中だったのだ。恥ずかしくて顔が真っ赤になってしまって焦った。

 佳代は体中に冷や汗をかいていた。そんな佳代を見てオサムは可愛いなぁと思っていたのだ。

***

 年が明けて一月も下旬、オサムから手紙が届いた。

 「佳代ちゃん、お誕生日おめでとう。二十歳だね。お酒も飲めるし選挙権もある。大人になっておめでとう!クリスマスパーティーは楽しかったね。あの日の佳代ちゃんの事が僕の友達たちの間で評判になってね、僕は鼻高々だったよ。皆、口を揃えて佳代ちゃんがキレイで素直で良い子だって言ってくれたんだ。」

 「僕は、卒論も提出してこれで気がかりな事もなくなり大学生活が終わる。後数か月で就職先の会社からの知らせで勤務先が決まり社会人となるんだ。どこに決まろうと佳代ちゃんとこれからも付き合っていきたいと思っているよ。 高価な物はまだ無理だけど心からお誕生日のプレゼントを贈ります。又、手紙を書きます。 石田理。」

 佳代は嬉しかった。佳代の誕生日を覚えていてくれた事が。封筒の中には薄白い紙の中に、トップに小粒の真珠が付いたネックレスが入っていた。これから先のオサムとの付き合いが嬉しくて喜びに心ときめいていた佳代だった。

***

 佳代が勤める阿倍野の店では、一月に成人式を迎える従業員がいれば、その人たちの為に食事会が開かれる事になっていた。今年は、佳代と美緒ちゃん二人が二十歳になる。成人式に故郷に帰れない人の為に社長の気遣いだったのだ。

 そして、社長の気遣いもまだあった。社長の奥さんが一人一人の故郷の両親の元に暮れになると、温かい衣服を贈っていた事もこの店の先輩である美緒ちゃんから聞いて佳代は、初めて知った。きっと今年は、佳代の田舎にも贈ってくれているのだろう、今度田舎にも手紙を書こうと思っていた。

 「佳代ちゃん、今度の私たちの食事会の時に発表があるらしいよ、今年の六月の恒例の慰安旅行の行き先が!今年は、化粧品メーカー会社の招待らしい。うちの店が昨年の化粧品販売売上のトップだたんだって。静岡の温泉に、ご褒美旅行だと社長が話していたのを応接室にお茶を出していた、二年先輩の頼子ちゃんがチラッと聞いたらしいよ。」

 美緒ちゃんが大きな目をくりくりさせて嬉しそうな顔で佳代に話した。その噂は店の人達全員にいきわたり店の空気も、今まで以上明るい毎日となって朝礼のミーティングでも笑顔が絶えなかった。

 化粧品アドバイザーも大変な仕事だが昨年と大きく変わった佳代の生活だが、石田理の事もお店の事も生きる希望で膨らんでいた佳代だった。

 夏美ちゃんは元気に暮らしているだろうかと、ふと、思い出していた。

 

 


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