大阪暮らし14 国家試験

 「はい! 着物の裾を直してあげて! ちょっと着物の長さが短くない?」

 カメラマンの小酒井達也が大きな声でスタイリストの人に声をかける。その日、事務所に招待されて佳代は撮影風景を見学していた。

広いスタジオの中は、緊張感が漂っている。壁のベージュのスクリーンの前で振袖姿の長身のモデルが立っていた。

スタイリストは、モデルの着物の裾を静かに下に引いている。側でもう一人のメイクアップアーティストに顔を直されているモデルがチラッと佳代の方を見た。

遠目に見ていた佳代の横には、少し年上のスタイリストが立っている。多分、三人のスタイリストの上司なのだろう。

「先生、帯がキツクて苦しいです。もう少し緩めてもらえませんか?」

こちらを見ていたモデルが辛そうに訴えている。

「では、三十分休憩します。!」

カメラマンの小酒井達也が大きな声で言った。

「どう?撮影風景は、初めて見るの? 佳代ちゃんも早く一人前のメイクアップアーティストになって僕のスタジオで手伝ってよ。」

「今回は、婦人雑誌の着物特集なんだよ。出版されたら佳代ちゃんも買ってくれるね?」

佳代の側に歩いてきた小酒井は先ほどの厳しい顔つきから一転して優しく佳代に言って笑った。

***

 スタジオ見学から数か月後、佳代は美容学校を卒業し国家試験にも合格して長い間待ってもらっていた米倉社長に連絡をしてすぐに働けるように契約をした。

 今まで住んでいたアパートを出て、米倉社長の勧めてくれる梅田にある小綺麗なマンションに引っ越したのはその年の暮れだった。米倉社長の事務所がマンションから徒歩五分の場所だったのも決めてだった。

 事務所には、メイクアップアーティストが数名、スタイリストが数名、テレビ局や雑誌撮影、映画製作の現場にそれぞれ、派遣されていく。事務員を入れて二十五人の大所帯だった。

「佳代ちゃんは、即戦力になるね! 大体がうちは、三人体制で現場に行くシステムになっているので慣れるまで大変だと思うけど、無理をせず頑張って下さいね。」

米倉社長は、事務所で他のメンバーに佳代を紹介をした後、側にきて優しい声で励ましてくれた。

 夢を形にするために、この数年間は毎日、仕事と勉強とに明け暮れた。オサムとの別れが原動力に繋がっていたのだろう。阿倍野の化粧品店の主任や親友の山下美緒、アパートの友達と別れを告げて新しい生活に入ったのは、年も明けて数日が経ってからだった。

 ***

「佳代ちゃん、メイク道具を鏡前に順に並べてくれる? それが終わったら、衣装さんが準備してくれている着物に帯や半衿を選んで揃えて置いて直ぐに着付けられるようにスタンバイしてね!」

 先ほどから、先輩の西山さんが佳代に指示をしている。

 ここは、テレビ局の一室。タレントさんのメイクや衣装替えの部屋になっていた。佳代のメイク道具をゴミ箱の側に押しのけて先輩の西山さんは自分のメイク道具を鏡前に並べるようにと言う。

 今日は、佳代がメイクを任されているはずなのに、西山さんは自分が担当するつもりだった。スタイリストの山本先生が着物の着付けをされると聞いていた。着物の小物類は山本先生が選ぶはずだった。

 「すみません、西山さん。着物は、スタイリストの山本先生が選ぶはずです。それにタレントさんのメイクは米倉社長から、今日は私に任されているはずですが。」

 佳代は一応思う事を西山さんに話してみたが、沈黙が続いた後、ずっと無視をされてしまった。グーっと頭がザワザワするがここは堪えた。

仕方がないので仕事を進める為に、先輩である西山さんの言う通りに佳代は従った。

 スタイリストの山本先生に佳代は褒められた。着物の選び方や、小物類の合わせ方が良かったと気に入られたので、今日はメイクを先輩に任せて、ずっと山本先生の手伝いを自分から進んでやっていた。

 「佳代ちゃん、予定よりも人数が増えたので着物の着付けを手伝ってもらえる? 大丈夫、帯結びは佳代ちゃんの思う様に自由に変えて良いよ!」

 山本先生は、タレントさんの着物をテキパキと着つけながら佳代に指示をくれたのだった。

 「はい、先生。分かりました。」

佳代は、そう返事をして若い綺麗なタレントさんの着付けを始めた。

 足袋を履かせて、裾除け、下着を付けて細いタレントさんの体に補正を付け、長襦袢を着せて着物を着付け、帯を結んだ。

 「佳代ちゃんすごいね、仕事が早いよ。それにとてもキッチリと着付けて帯結びも素敵な結び方だよ! お嬢さん、苦しくありませんか?」

 山本先生は、若い女性タレントに聞いた。

「はい、大丈夫です。全然苦しくありません。私、着物大好きです。こんな振袖欲しいなっ!似合っています?」

 可愛いタレントさんは、見た事が無い、まだ無名なタレントさんだが、今日はテレビのアシスタントさんだろうと思った。山本先生が着付けている女性はテレビで見た事がある綺麗な人だった。

 事務所に戻り、カバンを開けると私のメイク道具の中がぐちゃぐちゃになっていたのは先輩が放り投げたせいだと思ったが、佳代はその事は誰にも何も言わなかった。

 これから先、一緒に仕事をするんだから。

 先輩にも誠意をもって接していればいつかは分かってくれるだろうと佳代は、前向きに考える事にした。


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