梅さんは、外から聞こえてくる雨の音で目が覚めた。
いつもは、明るい太陽の光と鳥の囀りで目覚めていたが、今朝はどうも様子が違う。
カーテン越しの外は薄暗く台風のような大粒の雨が出窓の屋根を激しく打つ。
ゆっくりと、目を開けていつものストレッチを始めた。今朝は左手首が痛くて動かない。
「はぁ~て? 昨日、何か重い物を持ったっけかなぁ?」
「まぁ、そのうちに動くようになるじゃろう。少し腕を休めな、いけんなぁ。」
そう言いながら、足のストレッチを終わらせて、ゆっくりとベッドから降りた。
毎日、どこかしら痛くなる日々の中で、梅さんはいつ頃からか、自分の老いを自然に逆らわず受け入れている。
「さて、今日は天気も悪いし、畑もできん。おとなしく家で楽しむべかなぁ。」
そう言いながらキッチンへいきコーヒーを点てる。梅さんは昔からコーヒーが大好き。
「そうだ、昨日焼いたカンパーニュが少し残っているはず。ガス屋さんに半分お礼にあげたが、残りの分がテーブルに置いておいたはずだねぇ。」
昨日、梅さんのキッチンの流し台の水が流れにくくなっていたのを丁度、プロパンガスの入れ替えに来てくれたガス屋のお兄ちゃんに直してもらったのだった。
「梅さん、梅さん!!」
「大変だよ!キッチンの外側の流し台から繋がっている排水管の出口を調べたら、なんと、太い蛇が入って出れなくなっていたよ!可哀そうだから、そおっ~と引き抜いて畑に戻してあげたんだぁ~!」
「大丈夫!死んでいなかったよ、良かったね。」
「あらまぁ、可哀想な事になっていたんだね。でも、生きていて良かったよ!」
「お兄ちゃんのおかげだねぇ。どうもありがとう。」
「そうだ、朝食用に焼いた今朝のカンパーニュがあるから少しだけど、持っていっておくれっ!いつも、ありがとうねぇ。」
梅さんは、昨日のガス屋さんのお兄ちゃんとの、やりとりを思い出していた。
そして、昨日一日を思い出しながら左手首が痛くなる原因を考えてみたが、何も思い当たらなかった。
「まぁ、こんな天気の悪い日だから、あちこち痛くなっても仕方がないねぇ。」
「朝ご飯を食べたら、今日はパソコンのスイッチを入れてみようかね。市役所の安住さんからメールがきているかも知れないしねぇ。」
梅さんは、今日も独り言で一日が始まった。
大きな黒縁の老眼鏡をかけて、メールチェック!!
「ほれほれ、安住さんからメールが来てる来てる!!わくわくするねぇ。」
「こんにちは。梅さん。週に一度は、メールチェックをお願いしますと言っていたのを思い出してくれましたか?」
「体調はいかがですか?何か困った事があれば教えて下さいね。」
「来週には、梅さんの家にうかがいますからね。それまでに困った事があったら遠慮なく電話をくださいね。」
梅さんの家に、電話はあるのだが親戚も身寄りもない梅さんに、めったにかかってこないし、使わない。亡くなった旦那さんが使っていたものだった。
今の所、梅さんは元気に自分の身の回りの事も家の雑用も、それに趣味の天然酵母パンだって焼いている、梅さんは生活を楽しむ余裕があるのだ。
市役所の安住さんはそんな梅さんを安心しているが、それでも歳だから気にかけている。
週に一度は、梅さんの興味のあるパソコンのお付き合いも、してくれる。
「安住さん、メールをありがとうございます。」
「今朝は、外が暗くてね、酷い雨が窓を叩きつけているので、私は何もする気が起きなかったのだが、雨の音をよく聞いてみると豪雨の音が私には言葉になって聞こえてくるよ!」
「ゴーゴー!!雨よ降れ降れ、もっともっと降れ!」
「猛暑で干からびた畑のトマトやキュウリたち。」
「庭先の金柑やレモンの樹にも、たっぷりお水を飲ませてやろう!!ゴーゴー!!」
「そう考えていたら、嬉しくなってね。今日は、野や畑、樹々たちに嬉しい雨の日なんだって。自然の贈り物だね。」
「明日朝には、萎れて倒れていた真っ赤なサルビアの花も立ち上がっているだろうね。嬉しいね。」
「私の体調は良好ですよ。安住さん、いつも気にかけてくれてありがとう。それでは、次会えるのを楽しみにしています。 梅」
梅さんは、左手首が痛くて今日は動かない事も話さなかった。これも自然な事だから。
「83年間使ってきたこの体。ぼつぼつガタがきても仕方がないよ。私の旦那さんのようにピンピンコロリと逝ってしまいたいよねぇ。」
「いやいや、ダメだよ!旦那さん!そっちはどうだい?」
「私は、まだまだこの世で楽しみたい人生が残っているから、そんなに早く迎えにきちゃ嫌だよ!」
梅さんは、いつものように独り言。
10年前に亡くなった旦那さんに話しかけていた。