「君、君はあの時の薔薇の少女なの?ずいぶん綺麗になりましたね。」
突然、前から歩いてきた男性に声をかけられた。
ず~と俯き加減でベンチに腰かけている女の子が不思議に見えたのか?
薔薇の少女?
見ると首から高そうな大きなカメラをぶら下げているが、どうも見るからにカメラマンのようだった。
福岡から傷心で帰ってきて、辛い気持ちに蓋をして毎日仕事の予定を忙しくこなしていくだけで精一杯の生活だった。定休日の今日も佳代は気が落ち込んでいた。未練がましいがオサムと出会った中の島公民館の公園にふらっときてしまった。
男性をよく見ると佳代の記憶がよみがえる。
「あっ!!あの時の?写真の人ですか?」
数年前に、ここで出会った人だった。左ほほの赤いアザに見覚えがある、奈美ちゃんと同じアザだ。
「そうです、あの時は薔薇と可愛い貴方を被写体に数枚撮らせていただきました。もう五年も前の事ですね。その写真がコンテストで入賞して、今はプロのカメラマンをやっています。」
「風景も撮っていますが、人物、主にモデルさんを撮っています。ほら、今流行りの有名女性誌の特集をもっています。たまに表紙も撮らせてもらっています。あの時の貴方の写真がターニングポイントになりました。どうもありがとう。」
その男性はとても明るく佳代に話しかけてくれている。佳代の元気のない表情や俯き加減の様子から何かを感じていたのだろうと思った。
「えぇ~!女性雑誌ですか?良いですね。私も将来はいずれは、関わりたいと思っています。実はわたしは、ヘアメイクアップアーティストになりたいのです。今、勉強中ですが。モデルさんのヘアーやメイクをやってみたくて、現在は、美容学校の通信講座で勉強をしています。」
佳代は、女性雑誌と聞いて思わず話してみたくなった。
「そうでしたか。僕が写真の仕事の時もメイクアップアーティストに頼みますよ。事務所から派遣されてきます。良かったら、その事務所を紹介しましょうか?」
「今度、暇が有ったら僕の事務所へ寄ってくれたら紹介しますよ。電話をください。」
男性は、ポケットから名刺を出して佳代に手渡してくれた。名刺には、小酒井達也、事務所の名前があったので、プロのカメラマンだと分かった。
「ありがとうございます。嬉しいです。夢が一歩近づいた気がします。」
佳代はそう言って笑顔で答えた。
その日の夜、佳代はオサムに手紙を書いた。
「オサムさんへ
先日は連絡しないで突然押し掛けてごめんなさい。思いがけない主任の心使いで日曜日を有給にしてくれたので、急に思い立って福岡まで会いにいくことに決めてしまってオサムさんには迷惑をかけてしまいました。
同僚の女性の方にも、びっくりさせてしまって申し訳なかったと思っています。
私は今までオサムさんに何もしてあげられなくてごめんなさい。私はいつもオサムさんに助けてもらうばかりでした。
今までいろいろありがとうございました。
どうぞ幸せになってください。
さようなら。 佳代 」
佳代は、気持ちが変わらないうちにオサムへの別れの手紙をポストに入れる為、夜遅い時間だが近所のポストまで急いだ。
一週間が過ぎてもオサムからの返事は無かった。
あれは、誤解だよ!とオサムからの返事がくるのをほんの少しだけ、期待して待っていたが二週間を過ぎても一カ月が過ぎても手紙も電話もなかった。
街路樹の緑が鮮やかになり、そしてまた散っていき、季節が過ぎて行った。
佳代は毎日、アパートから化粧品店、夜は近所の美容院への往復で一生懸命働いた。休みの日に通信課程もこなして、後一歩という段階まで進んでいた。
米倉社長との約束である二年の歳月が過ぎている。美容師の技術もメイクの技術もすっかり身につけた。着物の着付けも夜に教室に通って資格も取った。
後は、美容学校の国家試験を受けるだけとなっていた。
佳代は、米倉社長に連絡をする前に二年前に中の島公民館の公園で出会ったプロのカメラマンである小酒井達也に電話をしてみようと考えた。
「もしもし、小酒井達也さんですか? 私は、二年前に中之島公園でお目にかかった薔薇の写真を撮っていただきました佳代、山下佳代です。」
「あぁ~君か? ずっと連絡を待っていたよ。 どうだい? 夢にまた近づいたのかな?」
「はい。あと一歩の所にきました。その事なんですが、小酒井さんの事務所を見学させてもらえませんか?プロのメイクアップアーティストさんの仕事をこの目で見たいと思っています。良いでしょうか?」
「あぁ~良いよ。何時が良いかな?今月は無理だが、来月なら少し余裕があるよ!事務所の住所は名刺に書いてあったでしょう。そうだ、来月の中旬、17日の月曜日に中之島公園のこの間のあの場所で待っていてくれる?僕が事務所まで案内するよ。
「その時に君の希望に答えよう。いいかな? 」
「はい。ありがとうございます。待っています。」
小酒井さんの声は、二年前と同じように穏やかで優しい声だった。